インパール作戦しかり。なぜ日本人は負けはじめるとドツボに嵌まる?

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一度決めた方針や考え方を貫き通す「首尾一貫性」が美徳とされる日本ですが、時としてそれは自分自身を縛り付ける縄のような存在となってしまうこともあるようです。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では「ホンマでっか!? TV」でもおなじみの池田教授が、この途中で心変わりしないという考え方は「危機に対しては無力」として、コロナ禍において臨機応変に対応できない政府や、状況に応じて行動パターンを変えることができない国民を批判的に記しています。

首尾一貫性という呪縛

日本では古来首尾一貫性があること、意見がぶれないこと、一つのことをやり遂げること、途中で心変わりしないこと、などを美徳としてほめたたえる文化があるが、コロナ禍で明らかになったことは、首尾一貫性は、危機に対しては無力であったことだ。

首尾一貫性を評価する恐らく一番大きな理由は、貴族、武士から庶民まで、大多数の人は長いものに巻かれたり、勝ち馬に乗ったりするのが当たり前だったので、稀に志を変えずに、頑張って、職や場合によっては命を賭する人は、自分にはとても真似ができない尊敬すべき人だという風潮に逆らえなかったからだ。反対に勝ち馬に乗った奴は卑怯だという言説が広く流布することになる。勝ち馬に乗って上手くやりたいのに、様々なしがらみや名誉心や自尊心が邪魔して、上手く世を渡れなかった自身を顧みての、嫉妬と羨望の念の裏返しなのだろう。

関ヶ原の戦いで、西軍から東軍に寝返った小早川秀秋は、裏切り者として非難されることは多いが、機を見るに敏な智将だとほめる人は少ない。小早川秀秋は関ヶ原の戦いの論功行賞で岡山55万石に加増・移封されたが、戦いのわずか2年後に20歳の若さで急逝している。子供の頃から酒浸りで、12歳にして既にアル中だったということなので、肝臓が余程いかれていたのであろう。裏切り者はいい死に方はしない、ざまあみろ、と喝采を叫んだ人も多かったに違いない。

西郷隆盛は意地を通して西南戦争に敗れ自刃したが、今に至るまで庶民にとっての人気は高い。実際は西郷には自殺願望があり、自らの死に場所を探していたというのが真相なのかもしれないが、少なくとも勝ち馬に乗るという卑怯なことはしなかったのが、人気の原因であろう。

少し前までは、一浪・二浪どころか何浪もして30歳過ぎて東大に受かった人や、50歳近くで司法試験に合格した人を、初志貫徹した人として褒め称えたような文化があったけれど、貴重な人生の大半を受験勉強などに費やさないで、もっと有意義なことに使えばよかったのに、と私ならば思う。

中学生でプロ棋士になった藤井二冠が大変な話題になっているが、プロ棋士の養成機関である奨励会は並の棋力では入会できないエリート集団で、ここで戦って勝ち抜いたものだけがプロ棋士(四段)になれる。しかし、まことに厳しい奨励会規定があり、満21歳の誕生日までに初段に、満26歳の誕生日までに4段に昇段できなかったものは退会である。プロ棋士になるのは諦めて別の道に進めということだ。奨励会規定がなければ、石にすがりついてもプロになりたいという人が30歳過ぎまで奨励会に在籍して、中年になっても収入が得られない事態になることもあり得る。奨励会規定はそういう悲惨な人を生み出したくないという将棋連盟の配慮でもある。別のことを始めれば、思わぬ才能が発揮できるかもしれないのに、余りにも頑固に初志にこだわるのは考えものである。才能がない分野で頑張ったり、負け戦を最後まで戦ったりするのは愚かであろう。

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