インパール作戦しかり。なぜ日本人は負けはじめるとドツボに嵌まる?

 

首尾一貫性は悪しき精神主義に結びつきやすく、一度決めたことをなかなか撤回せず、うまくいかない原因を根性がないからだということにして、ドツボに嵌っていきやすい。戦国時代には「腹が減っては戦はできぬ」というのは当たり前で、戦うためには食料の調達をまず考えなければならない。ところが、太平の世になって「武士は食わねど高楊枝」といった諺が貴ばれるようになった。この精神で戦争をやったのが太平洋戦争の日本で、補給方法を考えずに根性だけで戦った最悪の例はインパール作戦である。負けるべくして負ける戦いだったのだ。何度も言うように死んだ兵士の大半は餓死だった。

太平洋戦争の日本の指導層には、状況を判断して、臨機応変に立ち回るという考えが皆無だったのだろう。戦況は刻々変わるし、このまま続ければ敗戦は必至ということも分かっていただろうに、首尾一貫性に固執したために最初の判断を変えられなかったのだ。個人の場合はその個人だけの問題であるが、国の場合は国民の命がかかっているので、臨機応変な判断ができない指導者は国を潰す。

今回のコロナ禍でも、政府には、おそらくオリンピックを開催したいがために、正確な感染者数を知られたくないという判断があり、それに長い間固執したために対策が遅れたという面は否めない。PCR検査をなるべくさせないように制限していたが、感染者が増加して、世論に押されて政府もようやく重い腰を上げ始めたようだ。前にも書いたが、流行初期の段階で、COVID-19を慌てて指定感染症にしたせいで、感染者をすべて病院に収容しなければという建前になり、重症者のベッドが足りなくなる恐れが出てきたのである。すみやかに指定感染症から解除すれば、何の問題もないと思うのだが、政府は最初の決定にこだわって重い腰を上げない。これも首尾一貫教のなせる政策であると思う。

最初、専門家はマスクの効果を過小評価していたが、人ごみでマスクをしないのは感染リスクを高めることがほぼ明らかになって、今では病院やスーパーに入店する際にはマスクをしていないと咎められるようになった。私はここの所、歯の治療で何日か歯医者に通ったが、患者はマスクをしていると治療が不可能なので、待合室でもマスクをしていなくてもOKだった。もちろん、歯医者さんはずっとマスクをしていた。同じころ眼医者にも行ったが、眼医者ではマスクをしていないと中にも入れてもらえず、待合室にいると看護師さんがやってきて、おでこにかざす体温計で検温された。熱があったら追い返すのだろうか。それまではわからなかった。

しかし、ひとたび、マスクをすることがエチケットのようになると、いつでもマスクをしなければならないという首尾一貫教の人が現れる。私の家の周りは道行く人もまばらで、マスクをしなくても感染したりさせたりする確率は極めて少ないのだけれども、道行く人を観察していると、マスクをしている人の方が多い。この暑い中、マスクをすれば熱中症のリスクは高まると思うけれども、不思議な行動である。一番不思議なのは一人で自動車を運転している人がマスクをしていることだ。周りには誰もいないのだから、感染確率はゼロなのに窮屈なマスクをしている理由が分からない。状況に応じて、自分の判断でマスクを外してもいいと思うんだけどね。

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