卵でとじない。信州名物「駒ヶ根ソースかつ丼」のディープな世界

shutterstock_1141833542
 

かつ丼と聞いてほとんどの方が思い浮かべるのは、出汁卵でとじたカツの上に三つ葉を散らした丼ですが、信州駒ヶ根では勝手が違うようです。今回の無料メルマガ『郷愁の食物誌』では著者のUNCLE TELLさんが、「駒ヶ根ソースかつ丼」の歴史や9つの規定など、そのディープな世界を紹介しています。

信州のご当地丼「駒ヶ根ソースかつ丼」

諏訪湖周辺から伊那谷を天竜川に沿って走る国道153号線は、人呼んで「どんぶり街道」。その街道の名主(?)達が、もうだいぶ前のことになるが「信州・天竜川どんぶり街道の会」を結成、連携し研鑽を深めているようだ。

その丼たちを何回に分け紹介する予定だが、今回は、どんぶり街道の盟主(?)ともいうべき駒ヶ根のソースかつ丼の物語である。県内の人で今や駒ヶ根のソースかつ丼の存在を知らない人はいないくらい知名度抜群である。

全国にも知られた県内ご当地丼の元祖といわれる「ソースかつ丼」。駒ヶ根・伊那谷を飛び出し県内全円に広まり、どこの町でも食べられるポピュラーなものになって来ている。どんぶり街道の会に属する伊那市もソースかつ丼をメニューとして標榜しているが、名前は単に「ソースかつ丼」。「駒ヶ根ソースかつ丼」は、元祖の誇りも高き強力なブランドなのである。その駒ヶ根ソースかつ丼、2007(平成19)年には、全国のB級グルメが集う祭典に出品し、第8位という好成績を収めるなど実力もアップして来た。

駒ヶ根ソースかつ丼は、アツアツの飯の上に千切りのキャベツを乗せ、その上に揚げたてのトンカツを秘伝の特製のソースにくぐらせ乗せたもの。簡潔な料理ながら、アツアツのかつと冷たい千切りキャベツの歯ざわり、それらにから絡む甘辛味のソースがなんとも絶妙。分厚い豚ロース肉の味もひとしお、一度食べたらクセになると、B級グルメとしての評価もすこぶる高い。

ではこの駒ヶ根ソースかつ丼がうぶごえを上げたのはいつなのか、脚光を浴びるようになったのはいつ頃なのか。実は私は、仕事の関係で、昭和53年から昭和55年(1978~1980)まで、駒ヶ根市内で暮らしたことがあるが、この時は職場でも、ソースかつ丼が特に話題になるということも、全市的に広がりがあるというもなかったと思う。

私は知らなかったが、駒ヶ根ソースかつ丼公式サイトを見ると、駒ヶ根ソースかつ丼のパイオニアは、喜楽という店の初代店主、市瀬正一氏らしい。始まったのは昭和初期、昭和ひと桁時代とも、また10年代とも。当時、地方の町でも洋食がブームに。カツライスをもっと庶民的にと「丼」にアレンジしたのが始まりとも伝えられている。以来、長い間、特に全市的には普及することはなく1、2の店でささやかにその調理法・伝統が受け継がれて来たのではと思われるが、平成に入って以降、急速に広まっていったのではないか。

print
いま読まれてます

  • 卵でとじない。信州名物「駒ヶ根ソースかつ丼」のディープな世界
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け