「説明しない」は時代遅れ。政治家こそ学ぶべきリモート社会の大原則

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新型コロナウイルスの影響によりリモートワークが拡大し、その後押しともなるデジタル化を推進する菅政権。要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」のリモート講義で、直接会うことのないコミュニケーションには「誠実さ」が不可欠と感じている引地達也さんは、最近の政治のあり方への不満を表明。自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で、「説明しないこと」「言葉にしないこと」で膨らむ不信感を払拭するコミュニケーションのあり方について論じています。

「誠実な文化」が育むリモート講義の効果性と発展

支援が必要な方のためのウェブ上を基本とした「学びの場」を提供することが目的の「みんなの大学校」のカリキュラムがスタートして1か月。ウェブ型で講義を進めていくと、この講義スタイル、そして対話が新しい様式には、いくつかの気遣いが必要なのだと気づいてくる。

特に要支援者の方々の集合型学習とのハイブリット型には講師及びファシリテーターの新たな「力」も求められる。それは「誠実さ」である。ウェブ型の講義を成り立たせるのは、コミュニケーションにおける誠実な行為であり、その誠実な文化を育んでいるかが、日々社会に問われているのだ。

このリモートで「つながれる」社会の素養ともいうべき誠実の文化は、コミュニケーションの誠実なやりとりで構成されているのだが、最近目立つのが政治のコミュニケーションの誠実のなさ。

デジタル庁を設置し、リモートでの業務を拡大しようとする中にあって、より「誠実なコミュニケーション」が求められている自覚を持たなければリモートにおけるコミュニケーションの豊かな発展はないのだと思う。

集合型の講義をオンラインでも視聴してもらうハイブリット型は、集合型に出席する受講者が発言し、それに対応する時に講師は目の前に集中しがちになり、ウェブ参加の受講者から発言が出た時にはそちらに集中し、目の前の受講者への対応が疎かになることがある。

要支援者の集まりなので、受講者が常に「つながっている」という意識の中で進行するのが重要だから、目の前にいる人もウェブで参加の人も一緒に進行していることを共有しながら講義を進めるのは熟練の技がいる。

集合型では、受講者が発言した場合に、マイクがその声を拾わずに共有できないケースが多いので、講師及びファシリテーターがその言葉を受け取り、再度全体に「その言葉」を示して進行することになる。再度示す際には多少言葉を要約することもあり、少し解釈を加えることもあるため、ここを間違うと大変だ。発言を代弁してもらった側は、間違った解釈や要約で自らの言葉を上塗りされたことへの不快感とともに、講師への「不誠実」を感じてしまうだろう。

ここでの不誠実とは、相手が言いたいこと伝えたいことをくみ取らず、自分が発言しやすいものに置き換えるという、自分本位の考え方で当事者の思いから離れてしまうことである。一方の誠実の例は、言葉を代弁することの効果ともなる。当事者がなかなかまとまらずに発言していることを、的確にまとめ、発言に客観性と真実性が備わってくることで、発言者は安心と信頼を寄せることになる。

これは熟練な技であると同時に、原資となる言葉に誠実に向き合っているかが問われる。言葉だけではなく、発言している様子や背景を深く洞察し、その人を受け入れようとする誠実な気持ちがあって成り立つ所業だ。

この代弁された言葉がその場で共有され、共有された言葉は空間を超えてウェブ参加の受講者に届き、参加者の議論や発言を促して、その場全体が共有された空間として機能していくと、リモート機能におけるハイブリット型の講義が発展したことになるであろう。

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