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【第12回】SNSの追悼コメントで自己アピールする人ってどう思う? 春日武彦✕穂村弘対談

いずれ誰にでもやってくる「死」。普通に生活をしていれば自分の死は先かもしれませんが、「他人の死」は意外と身近かもしれません。そんな他人の死に遭遇した時、人は何を感じ、どう思うのでしょうか?精神科医の春日武彦さんと歌人の穂村弘さんが「他人の死」をテーマに語り合っていきます。

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談

過去の連載一覧はこちら↓

追悼文は月並みな方がいい?

穂村 僕は、実際に亡くなった人を目の前にした経験って、あんまりないんだけど、お葬式とかでそういう場面に立ち会うことになると、静かなパニック状態に陥ってしまうんだよね。なんというか、「ここにはいられない!」みたいな気持ちというか。もちろん、実際にその場を逃げ出すとかではないんだけど、頭が一種の空白状態になってしまう。

春日 分かる気はするよ。空白を感じる時もあるし、その場の空気が威圧感の塊みたいに感じられる時もあるもんね。

穂村 うん。空白に威圧されているみたいな感じかな。その時、その場で自分が成すべきことが分からないし、仮に分かったとしても、とてもできそうに思えない。「底知れぬ謎に対ひてあるごとし/死児のひたひに/またも手をやる」って、石川啄木が子どもを亡くした時の短歌なんだけど、これを見て、ああ、自分だけじゃないんだ、と思った。

春日 で、無力感に打ちひしがれる、と。

穂村 そうなの。例えば、亡くなったのが友だちの場合だったりすると、やっぱり故人に対する言葉を何か言った方が良いんだろうな、ということは分かる。でも、棺に入った姿を目の当たりにしてしまうと無力感に囚われてしまって……。

「さようなら」とか「ありがとう」とか、「もうちょっと僕はこっちで頑張ります」とか、そういう言葉を発することができず、自分が「無」の状態になってしまう。でも不思議なんだけど、後日その時のことを文章にすることとかはできるの。

春日 それって、何が違うの?

穂村 それは結局、読者に向けて書かれている文章なんだろうね。だから書ける。でも、故人当人に向かっては言葉が出てこない。「ありがとう」とか言ってみても、なんかふわふわと感じられて。

春日 俺は故人について、想定読者なしで書いたことがあるよ。

穂村 弔辞として?

春日 いや、単にエッセイみたいな形で。どこからも依頼なんかされてないけど、依頼原稿と同じように。

穂村 語りかけるような感じで書いた?

春日 ううん。あの人はこういうことを言って、こういう風な人物で、こんな「いかにも」な出来事があった、みたいなことを淡々と。

穂村 でも、そういう時でも「透明な読者」みたいな形での、想定読者っていない?

春日 いるといえばいる、のかな。自分で1人2役を演じてね。読者役の俺は書いている俺よりももうちょっと素直で常識をわきまえている、って設定だね。しかしさ、追悼文がやたら上手いヤツっているよね。普段は別にそうでもないのに、故人を偲ぶとなると急に「お、やるじゃん」ってなる(笑)。

と、ちょっと小バカにするような言い方をしたけど、そういうことをサラッと出来ちゃう人って、生活者としてすごくグレードが高いなと思ってしまうんだよね。葬式とかで、挨拶を見事にして見せるタイプとかさ。

穂村 先生にとって、いい追悼文ってどんなもの?

春日 没個性的な方がいいな。あえて月並みを書ける方が、大人として練られているという感じがする。変に気の利いた追悼文を読むと、そこで個性出してどうすんだよ、とか思っちゃう(笑)。

際どい追悼文は、敬愛の裏返し

春日 穂村さんは交流関係も、関わるジャンルも幅広いから、追悼文の依頼はけっこうあるでしょ?

穂村 でも、書けないことも多いよ。先日亡くなった歌人の岡井隆さん(1928~2020年)の時もそうだし、先生との共通の友人だった漫画家の吉野朔実さん(1959~2016年)の時も、どちらも最初に依頼が来たものは断ってしまった。追悼文の特徴として、さっき死去の報せを受けたばかりなのに、締切が明日とか明後日みたいな感じになるんだよね。

それで無理と思っちゃったんだ。あと、新聞とかだと、どうしても業績紹介みたいな感じにならざるを得ないじゃない。みんなそうだろうけど、それもその時の自分の気持ちからはズレるんだよね。

春日 即時性が高い媒体だと難しい、ってことね。じゃあ、少し時間をおけば書けるということ?

穂村 吉野さんの時は、ちょっと遅れて、自分の連載の中で、「追悼」みたいな冠なしで書いたよ。ごく私的な感じでね。ただ、それが許される関係性と、許されない関係性がある。自分が、その人の業績をきちんと説明しなくてはならない立場である場合とかさ。

岡井さんの場合は、その役割はお弟子さんたちが担うことになる。僕はそういう関係性じゃなかったから、時間が経ってからでも、私的な内容でも良かった。先生は、『本の雑誌』の吉野さん追悼号(2016年8月号)に文章を寄せてたよね。

春日 うん、だけど他の人たちが書くであろう内容とのバランスがいまひとつ取りづらくてさ。だから『猫と偶然』(作品社)って本を昨年出した時に、書き下ろしのエッセイみたいな形で俺の心情を少しばかり書いたの。Yさん、って表記にしたけど。ま、それはそれとして、結局、岡井さんの追悼文は書いたの?

穂村 うん。やはり個人的な思い出を書く形でね。岡井さんの最後の言葉は「無念」だったと聞いた。92歳まで生きて、倒れる直前まで仕事をし続けた。つまり、一般的に見れば大往生なわけだけど、それでも「無念」というところが岡井さんらしいなと思った。

春日 穂村さんは、普段追悼文を書く時、どういうふうに書くの? その人がいなくなってしまったことに焦点を当てるとか、生前の仕事振りとか人柄にフォーカスするとか、いろいろあると思うんだけど。

穂村 追悼文って、その故人との関係性で決まるから、型みたいなものはないよね。自分との関係をなるべく純化して書くしかないような気がする。ただ、同じ追悼文でも、媒体の違いでタイミングや内容が変わらざるを得ないから、無理だと思ったら依頼の段階で断るしかないんだよね。

春日 これを書くと失礼になっちゃうかも? みたいなことは悩まない? どこまでぶっちゃけていいのか、みたいな。これはちょっと不謹慎かも? って躊躇したりさ。

穂村 自分の中にある感情が、どの程度敬愛の想いに裏付けられているかによるかな。それさえあれば、エピソードそのものが不謹慎だったとしても、ある程度はOKな気がする。逆に言うと、そこまでの感情がない場合、書いていいか迷うようなエピソードをわざわざ入れようとは思わないもんね。際どい話を書きたいと思う背後には、それだけの思い入れが相手に対してあるからに他ならないだろうし。

でも、不謹慎かどうかと言えば、岡井さんが亡くなった後、一番最初に僕が言及したのはラジオだったんだよね。業績に触れつつ、歌を何首か引いて話したんだけど、その中のユーモラスな歌を解説しながら、思わず笑っちゃったんだよ。

でも、それがどのくらいいけないことなのか、よく分からなくて、後から思い返した時に、「そういえば僕は亡くなったばかりの大先輩の歌の話をしながら、笑ってたぞ」って。でも、それは或る意味、歌の力を示すことでもあって、いいと思えたんだけど。

1回しか会ったことのない人が感じる「真実」もある

春日 そういえば、最近じゃ、葬式で平気で故人をスマホで撮ったりするらしいじゃん。で、Twitterに上げちゃったりしてさ。

穂村 えっ、「穏やかな死に顔でした」とかコメントを添えて? それはさすがにまずいんじゃないの?

春日 その手のことやって炎上したヤツがいたな(笑)。SNSといえば、訃報に対する追悼の反応が早いよね。故人との関係とか、ファンがその人を何で知って、どういう影響を受けたのか、みたいな内容の投稿ね。で、それに対して「お前の話なんか知らんよ」みたいに揶揄する人がいたりして。

穂村 確かに、流れがわからないとまるで何かをアピールしてるように感じられる時があるかも。

春日 自己主張の道具になってる、ってことだよね。チープな人間性が浮かび上がってくるなあ。

穂村 ネットでの追悼といえば、女性の生きづらさなど、ジェンダー問題について優れた文章を残したライターの雨宮まみさん(1976~2016年)が亡くなった時、詩人の文月悠光さんが言っていたことが印象に残ってる。大好きな雨宮さんの訃報を知った彼女は、みんながどう悼んでいるか知りたくて検索をしたんだけど、その時に「雨宮まみ」ではなく、「雨宮さん」という言葉で検索したんだって。

春日 「さん」付けで検索してみる――ああ、気がつかなかったなあ。

穂村 ネット上って、やっぱりいろんな言葉が飛び交うじゃない。その中で、雨宮さんに対して「さん」付けで呼ぶ人の声だけを聞きたいと思ったんだって。彼女に対して、親しみの感情を持っている人たちの声だけに耳を傾けたかったわけだよね。よくわかる気がした。

岡井さんが亡くなった時も、やはりTwitter上には追悼の言葉がたくさん流れたんだけど、彼は高齢だったから、ネット上で主に発言する若い人たちとの間にかなりの年齢差があって、ゆえに発言も深い関係性に根ざしたものは少なかった気がする。年齢が近かったり関係の深い人は、そんなにTwitterをやっていないからね。でも、僕はそれはそれで悪いことじゃないと思ったんだ。

春日 ネットでは、どういう追悼コメントが多かったの?

穂村 「たった1度だけ会ったことがあって、その時はこうだった」みたいな。そうすると、「なんだ、自分のことばかり書いて」「たった1回で何が分かるんだ」みたいに言う人が必ず出てくるけど、たった1回でも「その時の、自分にとっての岡井隆はこういう人だった」と発言し合うのはいいことに思えたんだよね。

そういうささやかな思い出の蓄積も意味があると。1回だけ会った人が感じる「真実」もあるだろうからね。1人の人が亡くなって喪失感に包まれた夜に、ささやかでも1人1人が発した言葉を読みたいと思った。先生は、何か強く印象に残っている追悼文ってある?

春日 小沼丹が、小山清の思い出を書いた文章があってね。追悼文には該当しないのかもしれないけど、没後21年目に書かれた「小山さんの端書」っていう短文でさ、小山からもらった3枚のハガキと、彼の最初の創作集の出版記念会の案内状、その文面をそっくりそのまま紹介しながら静かに思い出を語っているんだけど、人柄だとか運命なんかがさりげなく語られるそのトーンが素晴らしいんだ。ああいうのを読むと、追悼文は書く人間の人間性まで見えてくるのが分かってちょっと怖いね。

穂村 僕は、狩撫麻礼(1947~2018年)という漫画原作者が亡くなって、2年後くらいに出た追悼本『漫画原作者・狩撫麻礼 1979-2018《そうだ、起ち上がれ!! GET UP,STAND UP!!》』(双葉社)が印象に残っているな。

彼はかつて、漫画原作者をしていたことのある作家の関川夏央と漫画家のいしかわじゅんと3人で盟友関係みたいな見られ方をしていた時期があって。でも、ある時以降、その2人と絶縁しているんだよね。

原因は、自作の漫画の中で、彼らのことを揶揄して、それが洒落になっていなかったから逆鱗に触れてしまったらしい。でも、そうした過去はあったけど、その追悼本に2人とも書いているんだよね。その事件にも触れられていて、わだかまりが完全に消えているわけでもなさそうで、でも、それでも追悼の文章を書いたってことがなんとなく心に残った。生きているとどうしようないことってあると思うし、死はその最たるものだから。

春日 しかしさ、自分に寄せられるかもしれない追悼文とかを考えると、なんだか複雑な気持ちになるよね(笑)。

穂村 自分じゃ読めないしねぇ。

春日 何書かれたか、知りようがないからね。「変な追悼文書かれたくないから、あいつより先には死ねない!」とか思ったり(笑)。

穂村 岡井さんが生前、「最後まで残った人間は全員の追悼文を書かなきゃいけない」って言っていたな。塚本邦雄が亡くなった時の追悼文は、なんと5回くらい書いたらしいよ。いろんな新聞にちがった内容で書き分けたというからすごい。あまりに関係が近かったり、他の仲間が死んでいて、もうその人しかいないみたいなことになると、そういうこともあるんだね。

他人の死に狼狽えてたら医者はできない

穂村 先生は仕事柄、普通の人よりも「死」というものに頻繁に接していると思うんだけど、「他人の死」と、来たるべき「自分の死」とは、近いものとして捉えている? それとも遠い?

春日 他人の死と、自分の死は、まあ全然違うよね。俺は、はっきり言うと、他人が死ぬことについては何とも思わないんだよね。まあ、しゃあないじゃんという感じでさ。自分の死に関しては、これまでの対談を振り返れば明白なように、ぐじぐじと考えてしまいがちだけど(苦笑)。

穂村 でも、同じ他人でも、濃淡があるでしょ。関係性によって変わってくるんじゃ?

春日 うーん、多少の濃淡はあるけど、やはり他人ということでどこか冷淡なんだなあ。母が亡くなった時は涙でも出るかと思ったらそんなこともなかったし。喪失感はあったけど、泣くのとは文脈が違うって感じていたしね。

そのあたり、ちょっと俺の心は問題があるのかもしれないな。ドライすぎるのかね。だって外科の連中なんかはさ、自分の家族のオペは決してしないなんて不文律があるくらいでさ。

穂村 そうなんだ。自分の家族を処置できないというのは、そこで感情が動くからですか。

春日 そう。手術するのが身内とかだったら、やっぱり「痛いかな」「死んだら悲しいな」みたいな余計なことを考えてしまって、判断が鈍るということがあるから。俺もそこは同じだろうと思うんだけど、死者になってしまったということになるとたちまち他人モードに切り替わっちゃう、ってことね。

穂村 つまり、職業的な意味で「平気」ということね。

春日 そうだね。患者が死ぬのはもちろん残念なことだし、死なせたくない。でも、それは現実に起こり得ることでもある。産婦人科にいた時は、他に癌患者も扱っていたから、死はとても身近なことだったよ。

精神科として遭遇する患者の死は、自殺か、原因不明の突然死か、だいたいそのどちらかかな。最近あの患者来ないな、と思ってたら死んでたとか、あるいは警察から問い合わせが来て、その死を知る、みたいな感じだね。

いずれにせよ、患者が死ぬたびに狼狽えたり、大ショックを受けてメシが喉を通らなくなるみたいな状態だったら、この仕事はできないからね。もちろん担当医として対応のやり方が適切だったのか吟味してみるとか、反省すべきところがあったのかは振り返ってみるよ。残された家族がいたら、話し合ってみたりもする。

でも、そこで妙に考え込んでしまったり、感情を動かされすぎる人は、俺はあまり大したことのない医者だと思ってるよ。だからこそ、自殺されても罪悪感は持たないし、医者を辞めようなんてことも思わない。

穂村 冷静を保つことで医者は自身のメンタルを守れるし、それは延いては患者のためでもある、ということか。

春日 ミイラ取りがミイラになったらお終いだからね。でも、ちゃんと患者のことは考えているし、ラーメン屋の「心を込めて営業中」ってプレートじゃないけど(笑)、誠心誠意やってますからね。安心して身を任せてくれていいですよ。

 

(第13回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談
第8回:年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談
第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
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