【第11回】なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談

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「俺っていつもこうなんだよ」「毎回同じパターンだよ」自分の人生の中でこのように思うことがあるかもしれません。そんな“負の呪縛”を断ち切るためにはどうしたら良いのでしょうか?精神科医の春日武彦さんと歌人の穂村弘さんの11回目となる対談は、なかなか答えが出ないこのテーマについて話し合っていきます。

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

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“いつものパターン”を断ち切るために

春日 小学6年生の時に、図工でペン画を描くことがあったのね。好きなものを描けっていうんで、どうしようかなと思ったんだけど、まわりのみんなはうさぎ小屋のうさぎとか、校庭の植物を描いたりしているわけ。でもさ、ペン画でそんなもん描いたってしょうがないじゃん。

絵筆とかと違って細かく描き込めるんだから、やっぱり、精密でメカニカルなものを描かなきゃ。で、学校にオートバイで通っている先生がいるのを知っていたから、俺は校舎の裏にある駐車場に行って、ホイールのところを精密に描き込んだバイク画を完成させたの。

我ながらなかなか上手く描けたなと大満足で、まわりのみんなもえらい感心してさ。学校に貼りだされて、俺は非常に鼻高々だったわけよ。その後、返してもらってから家で母親に見せたのね。

穂村 出たー、先生のお母さんネタ(笑)。どういう反応だったの?

春日 全然認めてくれないのよ。

穂村 うん、予想通りの展開(笑)。

春日 母親曰く「あんた、こんな細かいところまでちまちま描いて」。細部にこだわった結果、絵全体としては弱々しいものになっている、という評価を下されたんだよね。デッサンが狂ってる的なことも言われたな。でもさ、小6の子どもが描いたものだし、下描きもせずに直接描いてるんだよ? 弱々しいも何もないだろ! って思うよ。それで俺はすごくガッカリした、という思い出があって。

でさ、どうも俺の人生というのは、概ねこういうパターンの繰り返しなんじゃないかと思うんだよね。つまり、直観的に「こういう方がいいだろ」みたいな勘が働いて、それはそんなに外してないと思うのよ。センスはまずまずある。この例なら、うさぎよりはバイク描いた方が効果的だろう、みたいなことね。

で、部分的にはそれなりのものになって、素人をだまくらかすことは出来るんだけど、結局全体としては「デッサンが狂った弱々しい絵」に類すものしか作れない。どうも俺は、そういうようなことを延々繰り返して死ぬんじゃないか、という気がしてならないんだよね。

今度こそその“いつものパターン”を出し抜いてやる、と用意周到準備するんだけど、結局また同じ道を走っている、みたいな。最近、ほとほと嫌になっているんだよ。

穂村 個々の結果以前に、同じパターンにはまっていることに絶望しているのね。

春日 これってもう、運命的にそこから逃れられないということなんじゃないか、という気がしてきてね。「死」しかもう、このパターンを断ち切る手段はないんじゃないか、みたいに思えてくる。ある意味、死が救済になるという期待ね。

穂村 でも、それは「逃れられた」ことになるの?

春日 まあ、「かもしれない」という程度の期待でしかないんだけどね。つまり、そこで死んで生まれ変わったとしたら、今度はもうそんなパターンには囚われない人生が待っているんじゃないか、って。もっとも、単なる永遠の安息になるかもしれないし、何の保証もない話だけどね。上手いこと生まれ変われても、今度は女版の俺になって、また同じパターンの人生を歩むことになるかもしれないし(笑)。

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「負の呪縛」は主観的

穂村 でもさ、ループにハマっているというのは、先生がそう思っているだけなわけだよね? 少なくとも僕は、側から見ていて別にそうは思わないもの。

春日 他人にはそう見えなくても、俺的には薄々輪郭が見えるわけよ。自分のはまり込んでいるものの実態がさ。穂村さんは自分で同じパターンの反復をしていると思うことはない?

穂村 そうだなぁ、そういえば、ありそうな気もするね。こないだ新聞に投稿されてきた短歌で、〈通訳も翻訳も資格を取ったれどそこがゴールで実践なきわれ〉(石田恵子)っていうのがあって面白かった。僕は資格も取らないけど、こういう人はいそうだよね。そして、自分の人生にも、繰り返される一つのパターンみたいなものはありそうだなと思った。でも、先生は、それがすごくネガティブに感じられるわけでしょ?

春日 そうなんだよ。

穂村 でも、力士の得意の決まり手みたいなものもあるわけで、それはパターンを肯定的に捉えてるわけだよね。先生は、勝ちパターンじゃなくて、負けパターンばかりが気になってしまうんだね。でも、そこから「死が救いになる」という方に行くのは、やや極端すぎる気もするけどなぁ。生きていること自体に逃れがたい苦痛の呪縛があるという捉え方をしている人にとっては、パターンとか関係なく、単純に死が救いになるという発想はわかるけれど。

春日 まあね。でも「またかよ!」って感じで呪縛が繰り返されるんだよなあ。

穂村 「死が救いになる」ということとイコールだとは言えないけど、「死」によって、当事者の苦痛がひとまずなくなる、という意味では、老々介護の末の心中とかは分かりやすい。問題とそれを脱するための「死」という役割がはっきりしているから。

でも、今年、僕のかつての担当編集者で早逝した二階堂奥歯さん(1977〜2003年)の日記が文庫化(『八本脚の蝶』河出文庫)されたんだけど、彼女みたいに、優しい家族も恋人も友だちもいて、仕事も上手く行っているように見えて、外からは何の問題もなさそうなのに「とてもここにはいられない」という感じで、世界からの出口としての死を選んだというケースもある。

そこに現実レベルでの分かりやすい因果関係は見えてこない。ただ、遺された言葉から思いだけがびりびりと伝わってくる。つまり、主観的な「負の呪縛」というのは、他人には見えないものなんだろうね。

春日 ゆえに共感もされないから、ますますしんどくなるのかもね。まあ、俺は自殺する気はないけれども、死ぬ瞬間に「やれやれ」とは思うかもしれないな。これでもう、このクソ鬱陶しいパターンとお別れだぞ、と。

穂原 死んで生まれ変わる前に、天国でお母さんに会って、今の先生の技術でオートバイの絵を描いて見せてみたら? 先生、解剖図描くのとか得意だって言ってたじゃない?

春日 じゃあ、死ぬ前にきちんとデッサンの練習をしとかなきゃな(笑)。

穂村 それでも、なんとなく「あんた、何これ?」って言われる姿が目に浮かぶけどさ(笑)。

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