【第11回】なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談

 

「負の呪縛」はアイデンティティ?

春日 本当は生きているうちに苦痛の原因が取り除かれたり、「負の呪縛」から逃れられたらいいんだけど、仮に問題が魔法のように解消されたとしても、面倒なことに「そんなわけない、これは例外だ」とかも思いそうな気がするんだよね。

穂村 ああ、にわかに信じがたい、と。

春日 そうそう。「おかしい、罠だ!」って。

穂村 「俺を油断させといて、何する気なんだ?!」と思ってしまうわけね。じゃあさ、本がたくさん売れて、本屋の棚1つがすべて先生の本で埋まるようなことがあっても喜べない?

春日 うん、相当に悪辣な策略が仕掛けられていると思うだろうな。

穂村 俺をベストセラー作家にしようとする陰謀が! みたいな(笑)。

春日 で、俺が「サインでもしましょうか」と出てきたら、上からバケツに入った豚の血が降ってくる(笑)。

穂村 スティーヴン・キングの『キャリー』状態。

春日 つまり、自分がそのパターンに安住している、という面もあるんだろうね。「またこれかよ」と思いながら、それが俺のアイデンティティにもなっていて、顔をしかめつつもどこか安心している、みたいな感じがある。そして、そのことがまた嫌なわけ。

穂村 他者との間に、そういう共依存関係ができている人って少なからずいるけど、それが1人でも成立してしまうというのは面白いよね。で、そういう人を説得しようとして、怒らせてしまうことがある。先生みたいにメタ的思考がある人とは話し合いもできるけど、そうでないと何を言っていいのが分からなくなってしまうんだよね。

本人が嫌だって言うから、こっちもその嫌なことを取り除くための方法を考えるわけだけど、相手はそれに対して「俺が育ててきた負けパターンを取り上げるのか!」というような反応をしてくる。「え、どっちなの?」と困惑してしまうよ。

春日 確かに、そうなると他人は何も言えないからね。

穂村 でも、自分にも、そういう“心地よい自虐”みたいなものってあるから、分からないでもないんだけどね。その辺を上手く手なずけて、程よい関係を作れれば、来たる「死」も心穏やかに受け止められるようになるのかな?

春日 でもさ、そんなふうに上手く割り切れてしまうということは、そのパターンの呪縛は、すでに効力を失っているとも言えるよね。本当に「死」を自分にとって救いにしようと思ったら、囚われているパターンはハッキリしていて、それがしっかりと自分を責め苛んだ方がいいと思う。そうじゃないと、「解放されて楽になる」感も目減りするだろうし、「死という究極の解脱」が効果を失ってしまいそうな気がするから。

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