老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談

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人生はさまざまなものに例えられることがありますが、ゼンマイ式のオルゴールもそのひとつ。ちょうど良いタイミングで人生が終わることはありません。思い通りに終止符を打つことができなかったり、晩節を汚してしまったりすることも多々あるものです。「俺たちはどう死ぬか」をテーマにした春日武彦氏と穂村弘氏の対談シリーズ、今回はそんな若い頃と晩年の生き方について語っていきます。

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談

人生はオルゴールみたいなもの?

穂村 前に、〈オルゴールが曲の途中で終わってもかまわないのだむしろ普通〉(講談社『水中翼船炎上中』より)という歌を作ったことがあってさ。死について考えたら、そんな気がしたんだよね。

春日 いわゆるゼンマイ式のやつね。巻きが切れると曲も途中で止まってしまう。

穂村 うん。曲がちょうど終わったタイミングでゼンマイが切れるということは、まあないよね。大抵は、次の曲がちょろっと始まってしまったくらいのところでプツンとか。逆に、もうちょっとってところでプツンとか。人生もそういうものかもな、って。映画のようにさまざまな伏線が回収されて、すべてがキレイに丸く収まった状態で死ぬことはまずあり得ない。だから、「もうちょっと早く終わってたらキレイだったのにね、残念」みたいなこともありうる。

春日 いわゆる「晩節を汚す」ってやつだね。

穂村 過去の偉業を台無しにするような言動をしたりね。それで「老害」扱いされちゃったり。

春日 作家なら、これまですごくいい作品を書いてきたのに、それを無にするような駄作を書いちゃったりね。

穂村 往々にして、本人は自覚していないから、はたから見ているとキツイものがある。かといって、予防の手段もなさそうだし……。

春日 まあ無理だろうねぇ。あるいは、本人は特に変わってないんだけど、世間の価値観が大きく変わってしまって、それに伴い同じことをやっているだけなのに評価がダダ下がりするようなケースもある。で、ネットで炎上しちゃったりさ。これも本人としては「俺は変わってないのに、なぜなんだ?」というツラさがありそうね。

穂村 うん。その一方で、昔と変わらないことを「ブレない」と言って、ポジティブに捉える向きもあるよね。

春日 でも、まったく変わらないっていうのも、それはそれでどうかと思うけどね。成長しない、ということと紙一重でもありそうだし。

穂村 自分の場合、昔とは「変わった」という事実に、物を介して気づくことが多い気がする。趣味で何かを集めていると、熱中しているまさにその時は「これが自分にとって最高の物で、これから何十年と生きたとしても、これ以上に素晴らしい物に出会うことはないだろう」と信じて疑わない。でも、それから何年後かに情熱が冷めてくると、自分がかつてなぜそこまで熱狂し、執着していたのかが思い出せなくなる。自分の嗜好の変化が、物を鏡にすることで分かるんだよね。それが人のケースだと、中学の時に好きだったアイドルを言い合いっこする時とかに、つい現在の視点から見て、言ってもそう恥ずかしくなさそうな名前を挙げちゃったりして。嘘とは言えないけど、本当の本当に好きだったアイドルはちがうのに。

春日 あるねぇ。「俺は若い頃、ローリング・ストーンズ派だったよ」と言う奴が多すぎるのもそれじゃない?(笑) 「嘘つけ、お前、絶対ビートルズ派だったろ?」ってツッコミたくなる。ストーンズって言っといた方が不良っぽくて格好いいからさ、人は過去を、記憶を捏造するわけよ。

「若さ=無知」というアドバンテージ

春日 穂村さんは、年を取って作風が変わったみたいな意識はある?

穂村 昔自分が作った歌を見返していて「今だったら、こういう書き方はしないかな」みたいに思うことはあるかな。もう命令形の歌は作れないな、とかさ。やっぱり、ちょっと恥ずかしいような気がしてきてね。例えば、最初の歌集『シンジケート』(沖積舎)の〈ウエディングヴェール剝ぐ朝静電気よ一円硬貨色の空に散れ〉とか〈雄の光・雌の光がやりまくる赤道直下鮫抱きしめろ〉とか。「お前、いったい誰に命令してんだ?」って思っちゃうもん(笑)。でも若い時は、そんなこと考えないから。

春日 その命令している対象っていうのは、誰になるの?

穂村 要するに、「世界」に命令してるわけ。凄いよね。自分にツッコミを入れずにそういう作品が作れるのは、若くて知識も経験もないから。つまり、世界のことなんて何も知らないからこそ、できてしまう。

春日 じゃあ今、自分より若いヤツらがそういうのを書いてるのを見ると、苦々しく思ったりする?

穂村 羨ましくなることの方が多いね。韻文には、「何も知らないからこそ書ける」ということの成果が、散文に比べてめちゃめちゃ多いんだよね。だから、若さがある種の武器にもなる。〈校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け〉(『ドライ ドライ アイス』より)という自作を例にすると、もちろん、いくら若いからといって、夕焼けというのは局所的な現象であって、世界中の空が同時に夕焼けになるなんてことは物理的にあり得ないということは分かっているんだよ。でも、その常識的な理解よりも、歌に没入するテンションの方がずっと高いから、「世界中が夕焼け」というフレーズを書けてしまう。

春日 じゃあ年をとると、常識が勝ってきてしまう、と。

穂村 「そんなわけないじゃん」という現実の介入の方が強くなるよね。もちろんフレーズ自体は、年取ってからでも言葉として浮かんでくる可能性はあるよ。でも、仮に同じ言葉であっても、プリミティブな感覚が欠如してしまっているから、そこに力が宿ってないように感じられてしまうんだよね。

春日 分かる気がする。ランボーの「地獄の季節」じゃないけど、「永遠が見えた」なんてのも若い時しか言えないフレーズだよね。

穂村 ああ、本当にそうだね。詩歌は「知らない」ということが強みになりやすいジャンルなんだよね。リアルな恋愛を知らない時にしか書けない恋歌とかも絶対あって。

春日 言い切るパワーって、結構無知が裏打ちしている例がいっぱいあるよね。確かに、これは年を取ると失われる最たるものの1つかもしれない。

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