作品改変は読者への裏切行為?
春日 ユーザーフレンドリーという話とはちょっと違うけど、それで言うと、作家が後年自作を改変したりするケースが気になるんだよね。あれって昔書いたものよりも、作家として成長した、より技術的にも内面的にも成熟した俺が今あの作品を書いたらもっと素晴らしいものになるのでは? という考えが根底にあるからなのかな? 例えば、井伏鱒二(1898〜1993年)が晩年、代表作の1つ『山椒魚』を自選全集に収録する際に結末部分を大幅に削除しちゃったじゃない。
穂村 あの改変は、世評的にはどうだったんだっけ?
春日 賛否両論あったけど、概ね大ブーイングだった。
穂村 やっぱり元の方が良い、と。
春日 確か野坂昭如(1930〜2015年)が「すでに書き手の手を離れている作品に、こんな事をしたら困ります」みたいに本気で怒って、『週刊金曜日』に不満を綴った文章を寄稿したりしてたな。まあ、その付近の発言を見る限り、井伏本人にもかなり迷いはあったみたいだけど。
穂村 でも、自分の作品をいじっただけでブーイングされるなんて、偉い人だけの悩みだよね。僕が自分の短歌を改変するって言っても、「どうぞ好きにして下さい」って言われるのがオチだよ(笑)。
春日 逆に三島由紀夫(1925〜1970年)みたいに、ほぼ直さない派もいるけどね。彼は400字詰め原稿用紙1枚単位で推敲したら、もう直すことはなかったらしいよ。つまり、次の原稿用紙に取りかかったら、前に遡って直すことはしなかったとか。あれだけ長い小説を書いている人だから、にわかには信じられなかったよ。
穂村 三島の場合はちょっと極端だけど、いずれにせよ、一度多くの読者に評価された作品を改変して「正解でしたね」と言われる確率は極端に低そうだよね。だいたいが不評だったり、スルーされちゃったりすることが多いと思う。短歌の世界でも、与謝野晶子(1878〜1942年)が過去作を改変して「定本」と銘打って出したりしたことがあったけど、やっぱり読者的には「これじゃない」感があって不評だったらしいよ。でも、それって受け手が初めて目にしたものを良いと思うバイアスが働いている、という可能性も否定できないよね。
春日 初見バイアスね。水木しげる(1922〜2015年)の『河童の三平』とか『悪魔くん』とか、昔描いた作品を後年リブートしたようなものにも同じことが言えるかもしれないね。ちょっと荒々しいところなんかも含めて、やっぱり最初のバージョンの魅力には抗いがたいものがあるから。
穂村 ちょっと違うけど映画の続編とかもね。『ゴッドファーザー』を見返す度に「これは2も良かった例外的な作品だな」って必ず思うもの。「良い」と思ったその時の自分の感じ方ごと、人は思い入れの強い作品を心の中に封印してしまうんじゃない? だから、それを改変された時、自分の気持ちごと否定されたような気がして、傷つけられたように思うんじゃないかな。
春日 裏切られた! という感覚ね。尊敬していた人が晩節を汚しているのを見てガッカリしたり、それに怒りを感じるのも、根っこの部分で同じような心の動きがあるからなのかもしれないね。あの時の、俺の気持ちを返してくれ! みたいなさ。
(第8回に続く)
春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・