【第7回】老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談

 

ニコ9月①_トリ済み

年を取るとユーザーフレンドリーになる?

穂村 先生はどう? 若い時と今とで、作風が変わったみたいな意識はある?

春日 作風とはちょっと違うかもしれないけど、昔より文章にひらがなが多くなった気がする。

穂村 分かる。あれ何なんだろうね? それまでずっと漢字で書いてたものをひらがなにしようとしたり、逆にずっとひらがなで書いてたものを漢字にしたくなったりする感覚って。

春日 後者は、若い頃に覚えたての漢字を使ってみたくて……みたいな感じかな。あと似たところで、年を取ると改行が増えるケースも。例えば、内田百閒(1889〜1971年)は、明らかに晩年が近づくにつれ改行が増えていったよね。ある時期までは、むしろ1段落がかなり長い作家だったのに。

穂村 先生の場合、漢字をひらがなに開くようになったのって、何か理由があるの?

春日 「読みやすさ」みたいなことをかなり念頭に置くようになった気がする。自分が読みやすいっていうのもあるけど、それ以上に、読みやすくないものをわざわざ書くなんて迷惑だ、みたいなことを考えるようになったな。短歌の世界では、そういうのない?

穂村 もともと「読者=ユーザー」が少ないジャンルだからね。それが多ければ多いほど、そのジャンルはユーザーフレンドリーであることを要求される。でも、そもそも数が少なけければ、そんなことを考える必要はないもの。とはいえ短歌の世界にも市場価値を求める動きはあって、かつては当たり前だった文語を用いた短歌が少なくなったのは、その表れとも言えるかもしれないね。いずれにせよ、読み手が自分の側に原因があるという感覚はどんどん薄れていて、読みにくかったりとっつきにくかったりするのは、ユーザーフレンドリーじゃないコンテンツ側の問題だとみんなが思うようになっていると思う。

春日 勉強して自分で読めるようになりましょう、じゃなくて、コンテンツ側に「読みやすくしろよ」と要求する感じね。

穂村 「洋書が読めないのは、洋書のせいだ。英語が分からない俺のせいではない」みたいな感覚(笑)。それは極端だとしても、でも短歌における文語は、ほとんどそういう存在になってしまっているかもしれないね。まあ、自分が作り手として関わっているジャンルじゃなければ、僕だって「もっと使い勝手を良くしてくれたらいいのに」みたいなことを考えてしまうから、気持ちは分かるけどね。

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