2020年2月28日付
故金正日総書記の誕生日だった16日、朝鮮中央通信は正恩氏が金正日総書記の遺体が安置されている太陽宮殿を訪れ、参拝したことを報じ、「正面突破戦の先頭で、革命的な進軍の歩幅を力強く踏み出す誓いを固めた」と伝えた」と。
*この後、4月に20日間、5月に入っても20日以上、金正恩氏の動静が伝えられない日が多くなる。そして、父の金正日総書記が韓国の金大中大統領と行った南北共同宣言から20年の6月15日、韓国の脱北者団体による体制批判ビラの散布に反発して「終わりをみるまで連続した行動で報復する」と韓国を非難。16日には予告通り、開城の南北共同連絡事務所を爆破した。
2020年8月20日付
党大会開催を決定した中央委員会では「予想しなかった挑戦が重なって計画した目標にとても達せず、人民生活を向上できない結果となった」と経済不振を認めた。父の故金正日(キムジョンイル)総書記は一度も開かなかったが、正恩氏は16年、1980年以来36年ぶりとなる党大会を開き、さらに2021年1月の党大会開催を決めたことになる。
2020年10月6日付
核ミサイル開発を担う軍幹部2人に「元帥」の称号を与える。これで「元帥」は正恩氏を含めて4人に。
2020年10月11日付
夜間に行われた異例の軍事パレードの前に演説した金正恩氏は、「「私は首領(祖父の故金日成〈キムイルソン〉主席)と将軍(父の故金正日〈キムジョンイル〉総書記)の偉業を仰いでこの国を率いる重責にあるが、努力が足らず、人民が困難な暮らしから抜け出せないでいる」と自らを省みた」とされている。
2021年1月7日付
党大会の初日、開会の挨拶で金正恩氏は過去5年間の経済政策の失敗を認めた。記者は「率直に反省できるリーダー像を演出して求心力を強め、経済再建に向けて人民を鼓舞する狙いがあるようだ」と評している。
(uttiiの眼)
この間の記事を並べて読んでみると、金正恩氏が「遺訓政治」から脱して、しかも、父や祖父では為しえなかった「率直さ」さえ表に出して権力を維持しようとしていることが見えてくる。
ところで、今回の党大会では自らに「大元帥」の称号を与えようとしているのではないかとの情報が韓国の情報機関から流れてきたこともあったが、これは「総書記」に置き換わったのかもしれない。「大元帥」であれ「総書記」であれ、父祖の時代とは違う「自分の時代」を演出しようという意図は明らかと思われる。
さて、この「金正恩の北朝鮮」と我々はどのように付き合っていけば良いのやら…。
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