【量子コンピュータの時代】
しかし、いくら複数の人間が集まっても、それらが「均質」な似通った者ばかりの集団であったり、独裁者のような特定の構成員の影響を強く受けていたり、集団全体が強固な偏見を共有していたり、といった状況では、成果を期待することはできません。
参加者の多様性と自由が前提となっているわけです。
大切なポイントは、私たちを無意識レベルで拘束している、様々な前提や既存の知識、倫理的判断、これまでの経験から形成された世界観、等々から、いかに自由になれるかということです。
量子コンピュータの実用化が進みつつある現在、「合理的・論理的な思考」は遠からずAI(Artificial Intelligence人工知能)の独壇場となるはずです。
そうなった時、人間に期待されるのは従来の経験の積み重ねを超えた「創造的発想」の分野なのです。先ほどのブレインストーミングに当てはめれば、情報を分類し整理し構造化する部分はAIの仕事になるでしょう。人間が担当するのは、冒頭の、結論を急がず、自由奔放に奇抜なアイデアを出し合う部分です。
こうした「非合理的」「非論理的」発想の中には、以前指摘した「病的な発想」、たとえば犯罪者や精神病者の妄想なども含まれます。しかし、中心的で根幹的役割を果たすのは、芸術家のような発想、幼児のような発想、と考えて良いでしょう。
個人が「下手な考え休むに似たり」の状態になってしまうのは、論理的合理的なルールの中で、論理的合理的なやり方で思考を空回りさせているからではないでしょうか。その人を拘束している心の鎖から解放されれば、誰もが、ユニークなアイデアマンになれるはずなのですが…。
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