大揉めに揉めた末、橋本聖子五輪担当相を新会長に充てることで決着を見た東京五輪組織委員会の今回の騒動ですが、「最重要項目」の議論はなされなかったようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、その「話し合われるべきであった2つの課題」を提示。さらにこの課題に触れることなく、当騒動が一応の収まりを見せたことに世論が「納得」した理由を深堀りしています。
どうにもおかしい、五輪実行委騒動
オリパラ実行委員会の会長人事の話が延々と話題になっていました。ジェンダー論は大事ですが、今回の騒動の最重要項目ではないと思います。議員との兼務がどうかなどという問題も瑣末な話です。
そうではなくて、実行委員会の人事を考えるのであれば、とにかく「オリ・パラを開催するのか、中止するのか」という問題、そしてそのどちらにしても「追加の予算など国民の負担がどのくらい必要なのか」を明確にすることが重要です。
にもかかわらず、この間ずっと「差別」の問題と「スキャンダル」で3週間近くを浪費しています。これだけの時間があったら、国民の納得のいくような「開催か中止か」の論議、そして「追加の負担」がどうなるかの精査はできたように思うのです。
もしかしたら、そんなことを真面目に心配するのはバカみたいなのであって、日本の世論は既に2つの最悪のシナリオを理解しているのかもしれません。
オリ・パラに関わる具体的な問題ではなく、森喜朗氏と橋本聖子氏などに関するジェンダー論とスキャンダルの報道をメディアは流し、世論もそれに関心を示すフリに「徹していた」というのは、その2つのシナリオを理解してのことだったのかも、そんな印象もあります。
1つは、森、橋本に代表される現在の「オリパラ実施体制」のグループは、様々な「闇」を抱えているというシナリオです。例えば、ここまで公表されている費用の他に、施設建設費にもっとカネがかかっているとか、代理店や代行業者から巨額のツケが回ってくるとかいう可能性です。
更には、仮に中止となった場合に、日本側の責任ではないにも関わらず巨額の欠損を押し付けられるとか、あるいは招致活動に関する疑惑は当時の竹田氏の辞任などでは済まない悪質で大規模なものだったとか、とにかく様々な「闇」を抱えており、だからこそ「自分たちのグループ内」で人事をたらい回しにしたいし、その「闇」をメディアや世論が突っついて来るのは嫌う、そんなシナリオです。
ですが、私はこの「闇」シナリオは必ずしも当たっていないのかもしれない、そんな感触を持っています。
そうではなくて、第2のシナリオとしては、「誰も決められないし、誰も全体像をつかんでいない」というストーリーです。
誰かが悪意を持って私腹を肥やしていたり、とんでもないスキャンダルを隠していたりするのではなく、そもそも必要な情報をつかんで集約しているポジションが「ない」というシナリオです。