10年の節目はない。そういう人がいる。まだ復興は終わっていないし、癒されてもいない、と。それもそうだが、ここまで頑張ってきた、気を張って何とか生きてきたところから、もう少し心を開放してもよいのかと思う。頑張らなくてもよい、を受け止めることが10年経った今、必要な復興政策であろう。
10年を前に2月末に訪れた宮城県気仙沼市や南三陸町は町が変わった。毎年訪れてはいるが、議論の末に完成した南三陸町の震災復興祈念公園は厳かな雰囲気のある公園となり、そこには志津川の町があった、ということをモニュメントで明示しているものの、住民の姿は消え、かつてののどかな漁港町を知っているだけの私でも、寂しさが先行するから、住民の思いはどれほどだろう。
私たちが、土地を追われた人たちの悔しさに何が出来るのかを考えてみたい。岩手でも、宮城でも、福島でも、自分が生まれ育った土地、作物を生み出してきた土地、そこから離れる無念は、そこで頑張ってきたからこそ、深い念となって、土地とともに自分の人生、自分の人生そのものがある、と思う方も少なくないと思う。
その思いが強ければ強いほど、土地がなくなったという絶望は続く。そんな方には社会が声をかけてみたい。もう十分頑張った、ありがとう、と。心に向き合うには10年はまだ通過点である。
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