「自分を変えるためにもブラジルで挑戦したい」
安彦: 「ここにいたら自分はダメになるから環境を変えたい」と思って、サッカーの強豪国、ブラジルに留学したいと思ったんです。それでもう一度親に頼んだら「自分でお金を貯めたら行ってもいい」といわれました。高校2年生の夏のことです。
そこからお金を貯めるために、朝早く起きて新聞配達の仕事をするようになりました。目標額を貯めて、高校3年の夏、ついにブラジルに1か月間サッカー留学できることになったんです。
岡崎: もう高校の頃から目標を決めて努力していたんですね。
安彦: 最初はトータル1か月の予定でしたが、いろいろあり3か月間滞在することができたんですね。ただ、このままブラジルに滞在すると日本の学校の単位が取れなくなるということで、一度帰国することにしました。
その後、高校卒業後にブラジルにわたり、プロデビュー直前までいったんですけど、プロ契約をした次の日の紅白試合で、なんと右ひざ前の前十字靭帯断裂を負傷してしまったんです。
それで契約が破談に。「ブラジル人でもプロサッカー選手になりたいやつはいっぱいいるから、日本人の面倒はこれ以上みていられない」といわれてしまったんです。戦力外通告ですよね。
岡崎: それは悔しいですね!
安彦: いやぁ悔しかったですね! リハビリにも通ったんですけどビザが切れるので、それもあり21歳の時に日本に帰国しました。
そのあとは、サッカーのジーコのお兄さんのエドゥの元、JSSC(ジャパン・スポーツ・サイエンス・カレッジ)で選手兼通訳として働くことになったんですよ。なんとかJリーグに入れればと思ってやっていたんですけど……。
清水エスパルスのテストを受けたときに、30分の試合で3本シュートを蹴る必要があったんです。でも、そのときにびびってしまったんですよ。「ブラジルまでいってサッカーの経験を積んだのに、こんなところでびびっているわけにはいかない!」と思ったものの、どうにも怖くて体が動かなくて……。
最初の10分が経過してしまい、残り20分はとにかくやり過ごせばいいやと思ったのが間違いでした。2本目を蹴る前に監督から呼ばれ「もうこれ以上はいい」といわれてしまったんですよね。それでプロテストが不合格になりました。