東京五輪の「できない」を糧に模索すべき、日本の新しい「おもてなし」

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コロナ禍の中では対応できないと、東京五輪・東京パラの事前合宿地の返上が相次いでいると報じられています。オリパラ開催の大きな意義でもある国際交流なども制限され、準備してきた「おもてなし」の機会は訪れそうもありません。それでも、ここまで育んできた気持ちは廃れないと語るのは、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者の引地達也さん。障がい者支援の中で経験してきた「できない」を「できるようにする」ではなく、「何をするのがよいか考える」大切さを伝え、五輪も「できない」を受け入れてから発信できる新しい「おもてなし」があるはずと思いを綴っています。

五輪「できない」から考える新しい「おもてなし」

東京オリンピック・パラリンピック開催の是非を問う声が大きくなる中、先般、かねてから依頼されていた五輪に関する市民イベントで講演を行った。

埼玉県和光市の市民グループ「和光おもてなし隊」が企画したもので、当初はオリンピック・パラリンピックの射撃競技会場となる地域の市民として、選手や関係者、訪問客を「おもてなし」するために国際理解を深めるのが狙いだった。私が以前、国際報道に従事し、その後も子供たちに国旗を通じて国の文化理解を深める授業を行っていたことから、国旗から国際情勢やオリンピックを考える機会にしたいとの要望。

五輪がきっかけで講演という学びを通じて、国際理解を深められるのは確かではあるが、開催が前提から、開催できないことに焦点を当てて、国際理解を深めることが現在、大きな国際社会に生きる市民の責務であるように思えてきた。きっと、コロナ禍の中で正しい判断をしてこそ、五輪の「フェア」という理念を貫き、その先の希望があるのだと思う。

私の講演では国旗に描かれた色、形、絵、文字等から国の文化、歴史、宗教を解説し、地政学の問題から文化の違いの面白さを紐解くもので、ベースは子供向けに作られてはいるが、実はそこに最近の情勢を付言していくだけで十分に大人も楽しめる内容となっているから、外国への理解はどんな世代にとっても新鮮なテーマである。

私を呼んだ市民グループとは数年のお付き合いがあるから、五輪開催に向けて市民が集まり、ボランティアで活動してきたこれまでの思いもひしひしと感じるから、開催しないことへの失望を想像すると、やはり心苦しさがある。

一方で、多くの外国人が来ることを想定して準備してきた純粋な「おもてなし」の気持ちは廃れるものではなく、むしろ胸を張って、国際社会を生きる市民としての誇りになるはずで、開催できなくても、おもてなしをする気持ちを表現できれば、それは大きな成果なのではないかと思う。市民の心には確かな「平和」の感覚が宿ったと信じたい。

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