東京五輪の「できない」を糧に模索すべき、日本の新しい「おもてなし」

 

いつも五輪は「平和の祭典」というキャッチフレーズとは矛盾の中にある。東西冷戦の中でのモスクワ五輪での日米等の西側諸国の参加ボイコットやミュンヘン五輪でのテロ事件、南北分断の中でのソウル五輪─。真に世界が平和な状態で五輪が開催されたことはない。現在も新型コロナウイルスだけではなく、イスラエルとパレスチナの戦闘が激化する中での「平和の祭典」となる。

私が2004年のアテネ五輪を取材した際は、開会式前日に競技開始となったサッカー「イラク対ポルトガル戦」が平和を象徴する出来事として描かれた。米国が進攻してイラクを解放したことを受けた「新生イラク」の最初の国際的なスポーツ舞台への復帰で、練習もままならない状況のサッカーのイラク代表が国際的なサッカーのスーパースター、フィーゴらが所属するポルトガル代表に勝ったのである。

この大番狂わせに、当時の国際サッカー連盟のブラッター会長も喜び、会場に集まったイラクの人々も歓喜した。その様子を伝えた私は、五輪の平和の側面を焦点化することに躍起になり報道した。その経験からもやはり五輪による平和は演出された結果であるものだと考えている。

だからこそ、フェアにスポーツを行う場としての五輪が出来ない可能性が高まる中、市民は国際社会を生きる一員として、その理解を深めることがむしろ、五輪の効果として期待できるのではないかと思う。経済効果という、数値化された安心は何もないだろう。ただ、心豊かさだけは増殖するはずだ。

「おもてなし」という競技が行われるホスト国としての心構えから、コロナ禍を生きる全世界の人々が遠くにいながらも、五輪が開催できないことの残念な気持ちを「おもいやる」方向に進んだ時、「おもてなし」は世界を癒す素晴らしいキャッチフレーズとなるまいか。

そんな夢想をしてみるのは、私が障がいのある人、特に病気等で後天的に障がいになったことで、出来ていたことが出来なくなり、その状況を克服するのは、出来ないことを出来るようにするのではなく、出来ないことを受け入れて自分が今何をするのがよいかを考え行動することであると考えているからで、五輪も「できない」から考えると、新しいおもてなしが見えてくるはずだ。

image by:Korkusung / Shutterstock.com

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特別支援教育が必要な方への学びの場である「法定外シャローム大学」や就労移行支援事業所を舞台にしながら、社会にケアの概念を広めるメディアの再定義を目指す思いで、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを模索します。

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