10年が経った福島・双葉町を訪ねて。「人が帰れない街」の現状と未来

 

人が戻れない街/福島・双葉町を回って「国が決断すべきこと」を提案する

双葉町に入りようやく左右の道路に入れるようになった。右にハンドルを切って街の中に入っていく。津波が到達していた地域は、がれきが片づけられていて、きれいに区切られた更地が広がっている。しかし、津波が到達しなかった地域は住宅やお店が10年前のまま残っている。「ゴーストタウン」を眼前にして、取るものもとりあえず緊急避難させられた住民の無念さが伝わってきた。

至る所に非常線が張られているので移動できる区域は限られていた。だが、私が招かれたホテルの落成式典まで少し時間があったので、街を1周してみようと思い、カーナビに「双葉町役場」と入力した。

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案内に従って進むと、鉄筋コンクリート造の4階建ての立派な建物があった。周辺には、新築と思える住宅もあった。周囲に伸び放題の草木がなければ、すぐにでも住めそうな感じだ。10年間、時が止まったままというのはこういう情景を言うのだろう。

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双葉駅に移動した。福島県の沿岸部を走る常磐線は、2020年3月14日に全面開通となった。9年かけてようやく利用できるようになったのである。駅はとても立派な作りだ。タクシー乗り場があったが、住民がおらず、当然タクシー会社もない。近隣市町村から呼ぶのだろうか。駅を後にし、ホテルに向かった。

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現在、原発事故による帰還困難区域で住民が戻ることが制限されている区域は7市町村で337平方kmある。日本領土でありながら、日本国民が住むことができない地域だ。日本は戦後、3か所の領土問題を抱えている。

尖閣諸島=5.53平方km
竹島=0.21平方km

残る1つである北方領土は、全体で5003平方kmあるが、その中の二島先行返還の主役である、色丹島は250.6平方kmで、原発事故の帰還困難区域より小さい。

福島原発事故から10年が経過した。しかし、双葉町や大熊町などいまだに住民が帰ることができず、役場も周辺市町村で「仮役場」として業務をしていることを知らない国民も多い。この地域で再び住民が暮らせるようにと訴えることは、「北方領土を戻せ、竹島を戻せ、尖閣を守れ」という声ほど大きくはない……。

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