10年が経った福島・双葉町を訪ねて。「人が帰れない街」の現状と未来

 

17時から当初の目的であるビジネスホテルアルム双葉のオープンセレモニーが無事に開催された。オーナーの清信祐司社長の祖父が、隣り町の南相馬市出身で「復興の一助に」との思いで建設を決断した。

夕食会で双葉町の伊澤史朗町長が隣りの席だったので、双葉町がなぜ原発事故の避難先として埼玉県加須市を選定したのか尋ねた。当初は新潟県柏崎市に避難する予定で町議会の方々もそう思っていたが、前任町長の鶴の一声で決まったという。なんだか釈然としないが、町民も同じ思いだったそうだ。双葉町の仮庁舎は現在、いわき市に置かれている。来年の春ごろをめどにホテルの近くに仮庁舎を設置して、住民を呼び寄せる準備をしていくという。今後の復興はどのように進んでいくのだろうか。

双葉町の96%が帰還困難区域で、復興拠点となる面積は10%ほどだ。昨年、東京オリンピックに合わせて「東日本大震災・原子力災害伝承館」がオープン。私も翌日に見学してきたが、震災当時の大変な状況を映像などで見ることができる。修学旅行には是非とも利用してほしい施設だ。京都を観光するより、ここに来て勉強したほうがよっぽど学生のためになる。

その隣りに、ビジネスホテルは建設された。ホテル建設の最大の理由は、復興に向けた建設現場の方や新工場を設置する企業の方の宿泊施設がないことだった。実際、近くに宿泊施設がないことが理由で、企業誘致が2社流れたという。この伝承館、ホテルの周りにはなんもない。見渡す限りの更地だ。ここを中心に工場や公共施設が立ち並ぶことになるのだろう。

復興を目指す他の市町村では、どれだけの人口が戻っているのだろうか。浪江町のホームページで現況が分かる。

東日本大震災当時の人口は、約21,500人でした。現在の住民登録数は約17,000人です。浪江町内には約1,500人が居住しています。その他の町民は、現在も町外での避難生活を続けています。避難先は福島県内が約7割、県外が約3割(45都道府県)で、福島県内の仮設・借り上げ住宅には、現在も約20人が居住しています。令和2年9月に実施した住民意向調査では、「戻りたいと考えている」が10.8%、「まだ判断がつかない」が25.3%、「戻らないと決めている」が54.5%となっています。(浪江町ホームページより引用)

浪江町には、住民登録数の10%しか居住していない。「戻らない」と決めている人が半数を超えている。双葉町はもっと厳しい数字になるだろう。10年の間に避難先で就職先を探し、住居を買った人に、「戻れ」と言っても戻れない事情があると思う。だから、ごく当たり前の復興計画ではこの地域の再生は難しいし、1次産業の発展は除染の問題もあってすぐには震災前の段階に戻らないだろう。

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