ボギー風の洒落者。子供の前で弱音は吐けなかった人
また、よく叩かれたよ。痛かったけど、でもね、子供を叩くお父さんの方が痛いんだということは、小さい頃から薄々わかっていたんだ。
あれは小学校2、3年の頃だった。学校の宿題に時計の時間を答える問題があって、5時15分前と答えるのが正解だった。 宿題を見てくれたお父さんにボクは「4時45分だ」と答えた。すると、
「そうじゃない、これは5時15分前と答えなきゃいけないんだ」と。
「だってお父さん、一緒じゃないか。4時45分だって間違いじゃないんだから」と、ボクはいいはった。
次の瞬間、パチンとモノサシで足を叩かれた。
「お前、これ、これ何時なんだ!!」
ボクは泣きながら、「5時15分前 …」と答えた。
「おまえは頑固で偏屈で…、もっと素直にならなくちゃいけないよ」そういいながら、お父さんが涙を流しているのをボクは気づいていたんだ。
お前も痛かったろうけど、お父さんも心が痛い…そんな思いが伝わってきた。お父さんは熱い人だった。
お母さんはそんなお父さんに口答えせずに、お父さんを立てていたけど、本当に怒ったらお母さんの方が怖いことを、ボクは知っている。
原因はわからないが、たった一回だけ、 爆発したようにお父さんに言い返すお母さんの姿を覚えている。その時のお父さんは、お母さんの前で頭を垂れるように背中を丸めて、「うんうん」と相づちを打っていたもの。芯の強いお母さんだった。
背はボクぐらいあって、ハンフリー・ボガードと同じような帽子を愛用して、おしゃれだったお父さんは、ゴルフを始めたのも早かった。ゴルフ練習場に連れて行かれたときのことだった。
「シングルプレイヤーを目ざして、体重移動の練習をしているんだ、よく見ておけ!」なんていって。
どうだ、すごいだろうと、お父さんは子供に見せたかったんでしょう。ところが体重を移動しすぎて、クラブをスイングした瞬間、バランスを崩したお父さんはゴルフ練習場の2階から、コロコロっと下におっこっちゃってさ。
「お父さん、大丈夫!?」上から叫んだら、
「なに、大丈夫だ!」なんて。厳格な父親だったから、子供の前で弱音を吐くわけにいかなかったんだろうな。夜、一緒に風呂に入ったら、 尻に青アザができていた。
お父さんは音楽が好きで、よくレコードからジャズが流れているような家だった。兄貴がピアノを習うといった時に「お前もやれ」と、ボクは小学3年からジャズスクールに通った。 そのうちドラムに夢中になり、ドラムセットがほしくなった。ねだれば買ってくれるような親じゃないことはわかっていたから、ボクは新聞配達のアルバイトを始めた。そんな姿を見てお父さんは、
「いくら するんだ?」
「5万ぐらい…」
「お前、 好きなのか、よし!」
と、ドラムセットを買ってくれた。 5万円といったら、当時の子供にとっては想像できないぐらい高価なものだった。ところがある日、ボクがジャズスクールの練習をサボったのを知ったお父さんは、
「ふざけるな!やめちまえー!!」
5万円のドラムセットを2階から投げ捨てたんだ。あれには本当に驚いた。