現役小学校教師が「夏休みの宿題は廃止すべき」と声を大にして叫ぶ訳

 

話を冒頭に戻すと、再三述べている通り、学校は新しいことを始める前に、不要なものを捨てることの方が大切である。学校はもはや「過積載のトラック」である。積載率200%越えである。荷物の下の方には、もう完全に化石になったようなものも多く埋まっている。

学校には、かつては、大昔は必要だったものが溢れている。モノももちろんだが、仕組みや制度も同じかそれ以上にある。ずっと変わらない学習内容や形態もその一つであるし、夏休みの宿題もそれである。

現代は、教員が忙しいように、子どもたちも、ものすごく忙しいのである。見ると、子どもの日常も過積載で、遊ぶ暇さえないのである。

夏休みに一律に自由研究やポスター、読書感想文などを出させることは、現代の教育的に不要である。特に今の時代、やりたい子どもは個人の価値観と家庭の教育方針に沿って自発的にやる。それが本来の「夏休みの自由研究」の指す意味であるし、学校の目指す「学びに向かう人間性」の指すところである。

一昔前は、それができなかったのである。学校以外、教育情報にアクセスできないため、学校がやらないとチャンスロスとなっていたのである。ところが今や、個人でもネットで調べれば、いくらでも作品の募集を見つけられる。

またかつては、ドリルなども出さないと、一般の家庭では勉強する術がなかったのかもしれない。しかし、ネットで学べ、学習塾や家庭学習教材が全盛の現代において、どの地域でもそれが必要か。夏休みの一律のドリル学習は、過積載に更に載せて、子どもを潰す行為である(そもそも、ドリルを家庭でやらせて、苦手な子どもができるようになったという報告を聞いたことがない)。

夏休みの大量の宿題の最大の効果は「夏休み明けに学校に行きたくない」と思わせることである。不登校促進装置となっている面が否めない(実は教員側にとっても同じである)。

大人も子どもも、互いに無理をさせすぎなのである。「自分が苦しむからお前も苦しめ」という地獄的発想である。

 

print
いま読まれてます

  • 現役小学校教師が「夏休みの宿題は廃止すべき」と声を大にして叫ぶ訳
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け