障がい者や被災者に神の試練と言えるか。旧約聖書「ヨブ記」に抱く違和感

 

サタンはヨブが正しく信仰が揺るぎないのは「裕福であるから」だとか「健康であるから」だとして、財産を奪ったり、皮膚病に罹患させたりするのだが、そのサタンに神が「それではやってみるがよい」と同意を与えるのが、悔しい。

いたずらに試練を与え、人の命が奪われ、戻らない命を粗末にしている印象がぬぐえないのだ。

ヨブはそれも試練と受け止めたのであろうか。

倍になったことで祝福なのだろうか。

旧約聖書は歴史書でもあるから、それは記述した物語である。

そのうえでヨブの苦悩はどう伝えればよいのだろう。やはり分からない。この残酷物語の解釈は、単純に神を偉大なものとして、どんなことがあっても信仰が優先されることを説くことが基本かもしれない。それでも、苦しむ中にあって信仰のない方々の支援の中で、この不条理をどう考えればいいか、

私はまだ迷走している。

社会のスティグマ、動かない体、周囲の「働け」の圧力、その中心にいる当事者が生きるのがつらいと思う時、誰が救えるのだろうか。

もちろん「救い」などという超然な行動など出来るはずがなく、ただ、その苦しさを「苦しい」という事実のみを共有することしかできない。

それも慰めに過ぎないから、せめて継続的に一緒によい方向に歩むこと、その手を放さず、関係性を保ち続けるしかない。

ヨブの試練が続く人々には、一緒に、もしくは私一人でもよくなる奇跡を信じて待っている私がいる。待ち続けることが支援だと信じて、私は支援という仕事をしているのだと思う。

そう考えると、ヨブ記の教訓は私にとって、信じることを強めてくれるメッセージとなっている。

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image by: jorisvo / Shutterstock.com

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