缶ビールに泡を立てろ。「ドライ頼み」の脱却に成功したアサヒビールの大逆襲

73eddd52777f50c2b09e037af4007aa8
 

かつて「この味、辛口。」のキャッチコピーで一世を風靡したビール業界の雄「スーパードライ」ですが、その後は「発泡酒」や「第三のビール」が台頭し、一度は奪ったビール系飲料シェア首位の座もキリンビールに奪われてしまったアサヒビール。そのアサヒが起死回生の一手として今年の春に送り込んだのが居酒屋のビールみたいに泡の立つ「アサヒスーパードライ生ジョッキ缶」でした。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)」では、アサヒがコロナ禍で飲食店の酒類販売休止が続く中、社運を賭けてのぞんだ新商品投入の舞台裏に迫ります。

新時代の幕開け!アサヒビールの戦略に迫る

4月上旬。東京・目黒区のスタジオに現れたのは、俳優の菅田将暉さんと中村倫也さん。人気絶頂の二人が臨んだのは新しい缶ビール「アサヒスーパードライ生ジョッキ缶」のCM撮影だった。

その蓋は、フルオープンのスタイルになっている。蓋を開けると泡がどんどん出てきて、缶なのに生ビールのような新感覚のビールだ。二人はその様子を見ただけで大興奮。二人とも飲むのはこの日が初めてだそうだ。

去年12月、アサヒビール本社で行われていた新商品の発売を決める最重要会議。そこに社長・塩澤賢一の姿もあった。一人一人に配られた完成目前だった生ジョッキ缶の試作品。店で飲む生ビールのような味わいを目指したこれまでなかった缶ビールだ。ピリピリした空気の中、自社商品にもかかわらず絶賛の声が次々と上がり、発売が正式に決定した。

「本当にワクワクしてもらえると思いますし、ほとんどの方に『試してみたい』と思ってもらえるのではないかと想像しています」(塩澤)

0fe08eeba630da0c7fe44d144a84e68c

今年1月には記者発表。アサヒはこれに社運をかけている。実は今、アサヒはライバルとの競争の中にあって土俵際に追い詰められていたのだ。

その歴史を紐解くと、昭和の時代は業界万年3位。「夕日ビール」などとやゆされたこともあった。大手4社では最後発のサントリーにも追い上げられた。

「毎年毎年、売り上げが下がっていく、この会社、このままで大丈夫なのかな、と」(塩澤)

そんな中、起死回生のメガヒット商品が生まれ会社を救う。1987年発売の「スーパードライ」だ。当時のトレンド、「苦味」から離れ、「辛口」を売りにすると、これが受けた。かつてない「キレのあるビール」は消費者の心を捉えた。そして1998年、アサヒはキリンを抜き、ビール業界売り上げトップに立つ。CMには村上龍も引っ張り出された。

しかし、「スーパードライ」頼みの天下はずっとは続かなかった。2000年代に入ると手頃な発泡酒や第三のビールが台頭。「スーパードライ」の販売量は減り続け、さらにコロナショックが追い打ちをかけた。アサヒは去年、11年ぶりにビール系飲料のシェアでキリンに首位の座を明け渡したのだ。

逆襲を期し、コロナ禍の家飲みも意識して世に送り出すのが生ジョッキ缶だった。

茨城・守谷市のアサヒグループ研究開発センター。湧き上がってくる泡は、開発担当の古原徹を中心に生まれた。そこには発想の転換があったと言う。

「缶ビールは泡を立てないことが品質上は良好なんです。泡を立てることが今までの開発の考え方と180度違うので、どんな技術を使えば泡立ちができるのか、開発の初期段階ですごく苦労しました」(古原)

泡が生まれる秘密は缶の内側にあった。特殊な塗料を焼き付け、細かい凹凸を作ったのだ。通常の缶にフルオープンの蓋を付けて開けても泡は湧き上がってこない。しかし、生ジョッキ缶は開けてしばらくしても泡が湧き上がり続ける。蓋を開けた時に発生する泡が凹凸に触れて増殖、より多くの泡になるのだと言う。

開発にかかった時間は実に4年。古原は凹凸の数や大きさを試し続け、40回以上の試作を繰り返し、最高の泡立ちにたどり着いたのだ。

01

 

print
いま読まれてます

  • 缶ビールに泡を立てろ。「ドライ頼み」の脱却に成功したアサヒビールの大逆襲
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け