ホンマでっか池田教授が嘆く「平等原理主義」の病。被災地で毛布が配れぬ実害も

 

集合が任意団体でない場合は少々ややこしい。例えば、18歳以上の日本国民には平等に選挙権が与えられている。18歳以上の日本国民がすべて同格の存在だというのは一種のフィクションで(だからいけないと言っているわけではないが)、超越論的な根拠があるわけではないが、普通選挙は民主主義国家の存在根拠なので、これは外すわけにはいかないのである。

大正時代の半ばまでは、国税を一定限度以上納めていなければ、選挙権がなかったし、戦前は25歳以上の男にしか選挙権はなかった。すなわち税金を一定額以上払わない人や女性は、格外の国民だったわけだ。現在は、選挙権が一律に与えられているので、国民は全部平等だと錯覚しがちだが、貧富の格差一つとっても、各々の個人が実態として平等という事はあり得ない。民主主義国家の理念は国民の生活と安全を保障することなので、稼げなくなっても野垂れ死にする必要はないし、税金を納めなくても選挙権はあるし、いざとなったら生活保護を受給して生き延びることに後ろめたさを感じる必要もない。

金持ちになるのも、貧乏になるのも自己責任という人もいるが、個々人には能力差もあるし、運もあるし、親の資力も違うので、すべてについて平等に扱うと、結果的に不幸な人を救えなくなってしまう。東日本大震災の際の最大級の被災地支援ボランティア組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の代表だった西條剛央に聞いた話だが、500人収容している避難所に毛布が300枚届いたときに、300人だけに配ると不平等になると言って、500枚になるまで毛布を全く配らないで、倉庫にしまった避難所があったという。そのうち季節が進んで、暖かくなり、毛布は全く必要なくなってしまったとのこと。

笑うに笑えない話だが、平等原理主義の呪いがかけられていたとしか思えない。被災者はそもそも体力や健康面で平等ではなく、病人や高齢者や、乳幼児のいる家庭に優先的に配ったらいいのにと思うが、ボーダーで毛布を貰えなかった人に、不公平じゃないかと文句を言われるのが嫌だったのかしらね。(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』2021年9月10日号より一部抜粋、続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)

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