「木がケガしてる、木に謝れ!」 親父はそう怒鳴った。
親父は若い頃に日露戦争の旅順要塞攻防戦に出兵して負傷し、金鵄勲章をもらっていた。東京帝国大農学部を出た農林技師で、農業に関しての学者だな。役人を辞めた後は家で米の品種改良に取り組んだり、庭に温室を作って、当時は貴重品種だったマスカットやメロンを栽培していた。それらは色鮮やかでたわわに実り、見事な出来ばえだった。
僕は親父が49歳の時の子で。物心ついた頃、親父は子供から見たらオジイサンだった。学者肌で物静かな親父だったが、一度だけ、こっぴどく叱られたことがあった。
「木がケガしてる、木に謝れ!」 親父はそう怒鳴った。
僕が小学3年の時、多分、誕生日のお祝いにという意味だったのだろう。
「この柿の木をおまえにやるから、好きにしろ」と、畑の脇の柿の木を指さして僕にくれた。もらった柿の木は、秋になると甘い実が成った。
「友達を呼んできて、食わしてもいいか」そう聞くと、
「お前の柿の木だ。実を誰に食べさせてもかまわん」
親父はそう言った。そこで近所のはなたれガキが十人ぐらい来たのか。すぐ柿の木に成った実はなくなった。
悪ガキの中には、家から空気銃を持ってきたヤツがいた。日中戦争ははじまっていた、戦時下だった。柿の実がなくなると、柿の木の幹にワラで作ったかかしの人形をぶらさげ、みんなでそれを空気銃で撃った。その日の夕方のことだった。
「ちょっとこい」と親父にいわれた。
「なんだ、これは?」
よく見ると、はずれた空気銃の弾が何発か柿の木の幹に食い込んで、そこから樹液が流れている。
「おまえな、樹液は人間でいえば血みたいなもんだ。木がケガをして血を流している。今日、柿の実をみんなで取って、おまえも食ったろ。その恩を忘れてこれは何だ、木に謝れ!!」
樹液が人間の血と同じだといわれたのを生々しく覚えている。当時、戦争に向かって世の中が殺伐としていく時代だった。
植物も生き物なんだ。命は大切にしろ。
親父は僕にそういいたかったのか。
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