なぜ「スーパーカブ」は日本のホンダを世界企業に押し上げたのか?

 

行ったことは、そこで儲けた利益を品質向上政策と鈴鹿製作所建設にまずつぎ込んでモノ作りの基盤を強化し、それから次の段階として、「スーパーカブをまだ知らない日本中の老若男女に知ってもらい、スーパーカブのお客様になっていただくために、宣伝広告活動を大々的に始めよう」が、藤澤さんの構想していたことでした。

スーパーカブの宣伝広告活動を一手に担ったのは、この活動のために抜擢した東京グラフィックデザイナーズの尾形次雄さんで、藤澤さんはいかなる宣伝広告を打つかを二人で、毎日のように語り合っています。そこから行われたのは斬新で、はからずもドラッカーがいう「消費者の行動価値観における“イノベーション”」とも言えるものでした。

いままで縁がなかった人びとに知ってもらおうと、週刊誌と女性誌への連続的な宣伝広告活動をおこなったのです。本田さんが言い出した「そば屋さんの出前持ちが、そばを肩にかついで片手で運転できるバイクだ」で広告を制作して、まずはそば屋さんをふくむ4,000軒の商店からスーパーカブの注文を獲得しました。

週刊誌を舞台にした連続広告が好評を呼び、女性誌への広告展開も始まったのですが、これが世間に強い衝撃を与えました。女性誌で展開された広告は、カラー写真2ページ見開きで断然美しく、大々的な宣伝広告活動が功を奏して全国津々浦々で売れに売れ、一家に1台のモビリティとして日常生活と仕事に大活躍ともなりました。

さらにここからさらに拡げて“国際商品”として育て上げるためとして、リスクの高いが世界一の消費力をほこるアメリカ進出にチャレンジ。悪闘苦戦のスタートのなか、この地での「NICEST PEOPLE(ナイセスト・ピープル)」キャンペーンは、ホンダの二輪商品がアメリカの人びとの生活を彩って、意識変化をもたらしてブームを起こしたのでした。

もとよりここが到達点ではないけれど「世界企業」の道が始まりました。

一番になるために市場ドメイン(領域)を選択し、一番になるためにブランドをデザインし、効用(商品・サービス)化し、発信します。そこに“創造性”が働かなければ魅力がなく、魅力がなければ人の心に訴えられず、心が魅了されないならば購入されることはありません。具現化し知らしめるのですが、その根底にはよき“価値観”があります。

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