ホンダを世界企業へと躍進させた「スーパーカブ」。未だ日本でも根強い人気があり、漫画やアニメの題材としても使われるほどのこの商品は、どのように作られ、売れていったのでしょうか。今回のメルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では、著者の浅井良一さんがスーパーカブの物語を紐解いています。
「スーパーカブ」物語
好感を持たれる「ブランドデザイン」構築は、市場に高く評価されるため、成果が約束される活動に“集中”するために致命的に重要です。「ユニクロ」はかって「ユニバレ」というダサいのイメージがもたれて業績不振に見舞われたのですが、佐藤可士和さんを登用して“企業デザイン”一新させて、イメージを変身させて軌道修正をさせました。
「ユニクロ」のデザイン化は、宣伝広告だけでなく「ブランド」にまで至るデザイン構築であり、特別な存在として「我々はどうあるべきか」を誰にでも分かるようにしたのです。それが「LifeWear」で「人々の生活をより豊かに、より快適にする究極の普段着」という“コンセプト”が意味を持ち威力を発揮したのです。
ついては、さらにどのようにあるべきなのかを「本田宗一郎さん」のキャラクターもあって好感を持ってしまう「ホンダ」の「スーパーカブ」誕生での展開を見て、イメージを深めたいと思うのです。
「スーパーカブ」は、藤澤武夫さんがそもそもにして「ホンダ」を「世界企業」となるためにイメージ・デザインした“戦略商品”でした。「世界中の老若男女が乗れる小さくて便利で快適なモビリティ」として構想し、本田宗一郎さんが具体的な形を与え、全社が一丸となってつくりあげて「ホンダ」を一躍世界企業へと押し上げた大ヒット作です。
空冷4ストロークSOHC単気筒エンジン、自動遠心クラッチ、低床バックボーンフレーム、樹脂製レッグシールド、独創的でした。まず、あったのは藤沢さんの「構想デザイン」で、続いて「製品デザイン」を持ち、あまり気乗りしなかった本田さんをかき口説いて完成できたもので、やるとなったらやり通す本田さんの真骨頂でもあります。
「誰でも気軽に乗れるスマートな二輪で、乗って走れば快適で、しかも廉価な商品」のコンセプトでもって世界商品が誕生したのです。さてここからなのですが、この「スーパーカブ」のためにどんな宣伝広告活動を行ったのか、実は発売すぐには新聞での広告のみで、3年目の1960(昭和35)年になっての後に、大々的に開始したのです。
その理由について、藤澤さんは「宣伝広告で売りつけるような真似はしない」と口癖のように言い続けたそうで。「本田宗一郎が作った絶対的にいいモノだから、欲しいというお客様には、販売店で対面販売すればよく、評判が上がれば口コミでも売れて行く」と考てのことで、事実大いに売れたのでした。