元朝日新聞の校閲センター長が考える「本当に上手い文章」の定義

shutterstock_2053678856
 

巷でよく聞かれる、「もっと上手い文章を書けるようになりたい」という声。しかしそこで肝心となる文章の上手下手は、どのような基準で判断されるべきなのでしょうか。今回のメルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』では著者で朝日新聞の元校閲センター長という経歴を持つ前田さんが、文章のプロとしてその判断基準を提示。自身が考える「文章の超絶技巧」を紹介しています。

朝日新聞の元校閲センター長・前田安正さんが教える、上手い文章を書くコツを伝授するメルマガの詳細・ご登録はコチラ

 

誰でも書けるが、誰もが書けない

文章は誰でも書けます。まったく何も書けない、ということはまずありません。それなのに、「文章が書ける」という人は極めて少ないのです。

これがピアノなら「弾けません」「バイエルまでは習いました」などと答えるでしょうし、野球なら「やったことがない」「キャッチボール程度ならできる」「中学・高校の部活で、サードで4番を打っていました」という答えもあるでしょう。バレエなら「できるわけないじゃないですか」という答えも多いでしょうね。

ピアノや野球やバレエなどは、その技術に触れているかどうか、つまり経験に依るところが大きいので、できる・できないの答えは比較的、明確に示されます。

ピアノや野球やバレエは、その技術を高める先にあるものは「プロ」かもしれません。プロになることで得られる名声などはあるかもしれませんが、表現方法・パフォーマンスも含めて、技術を追い求めることが中心になります。技術がない人は、決してプロにはなれないのですから。そして、その技術の差は圧倒的で、直線的に見たり聞いたりする者に伝えることができます。

違いが見えづらい文章の技術

文章は、誰でも書けます。しかし、技術的な差が見えにくく、比較することが難しい。ピアノには楽譜があります。バレエも台本があります。それを元に演奏し、踊ります。同じ演目で奏者や演者の技術的違いを比較することができます。

野球も一つとして同じシチュエーションはないものの、ホームランを打つ、三振を取るといった技術を数字で表すことができます。

文章は論文試験などのように、同じテーマで書くことはありますが、そこで文章技術を競っているわけではなく、内容や視点が勝負になるのです。ある程度の技術は必要だとしても、そこで何を伝えたいのか、が求められるのです。

文章を書くということは、何かをするための手段としての役割が大きいのです。企画書を書く場合なら、多少文章が下手でも、その内容が卓越していれば、それは企画として認められます。文章によって切り開かれる「未来」が求められるのです。文章はそれ自体が、作家や記者にとっての主食にはなるけれど、一般的には、何かをするための、副菜としての役割が大きいのです。

だから、すらすら読めるわかりやすい文章が「いい文章だ」とほめられることは、まずないのです。結局、文章は書いた内容が求められるのです。しかし、すらすら読める文章が書けるというのは、高い技術がなくてはできません。

朝日新聞の元校閲センター長・前田安正さんが教える、上手い文章を書くコツを伝授するメルマガの詳細・ご登録はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • 元朝日新聞の校閲センター長が考える「本当に上手い文章」の定義
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け