「有観客」「自粛を要請」…コロナ下で氾濫した奇妙な言葉のこと

 

最後に紹介したいのが注意喚起逆転系の言葉である。「有観客」という言葉がその典型例であろう。本来観客はいて当たり前だから「有観客」という言葉はもともと存在しなかった。そこを「無観客」と敢えて言うことで(markすることで)観客のいない不自然さを当初は示していた(例:無観客ライブなど)。

ところがそういった「無観客」の状況が長く続いたために観客を容れることの方が逆に特殊になったためにmarkはこちらに移ってしまって敢えて「有観客」と言うようになったのである(例:有観客ライブなど)。

基本的に我々は、当たり前の方をunmarkedとして流せるように、特殊な方をmarkedとして注目できるように表現する。その一般例(unmarked)と特殊例(marked)が逆転してしまった好例がこの「有観客」という言葉なのである。

さて冒頭に戻って「コロナ下」という表現についてだがこれも「コロナ禍」との混用があるように思う。例えば戦争という言葉に対して「戦禍」と「戦時下」という表現があるように「コロナ禍」と「コロナ下」の間にも意味の違いは当然ある。

しかしもともと「コロナ」という言葉自体が病名(ウィルス名)だから「コロナ禍」と言おうが「コロナ下」と言おうがそこには災いの意味的要素がある訳である。その災いという意味的共通点が「禍」と「下」の意味の違いを凌駕して混用を許すような環境を作り出しているのである。似たような例としては「ご時世」と「ご時勢」の混用が挙げられる。「時勢」が「時世」をつくってしまった訳だから、同じ状況の動的表現か結果的表現かの違いである。

こんなふうにいろいろ考えたりしていると、この2年足らずで自分を取り巻く言語環境も様変わりしたな、と改めて思うのである。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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