なぜ小川淳也は立憲代表になれなかったか。“排除”に動いた「黒幕」の名前

 

立憲民主党には、自民党のように強固な派閥は存在しないといわれるが、旧社会、旧民社、旧新生、旧日本新党といった出自や、野党が離合集散を繰り返すなかで生まれた恩讐などが複雑にからんで、党内にいくつもの垣根をつくっている。

世間の注目を浴びる小川氏は、これまで党の主要ポストに就いていなかったこともあり、経歴や貢献度を重視する重鎮たちの目には、映画の効果によるカラ人気とでも映ったのであろう。

それでも小川氏には中堅・若手を中心に支持が広がり、第1回目投票で、72の国会議員票を獲得し、逢坂氏、西村氏を上まわった。敗れたとはいえ、今後に期待を抱かせる結果だ。

正直言って、泉氏は国会論戦で小川氏のように目立っていたわけではなく、筆者には馴染みが薄い。これからどのような政治力を発揮してくれるのか、見当がつかない。

だが、誰が代表であるにせよ、前途は多難であろう。野党は反対してばかりで、国民のために何もしていないという偏見が、10年近いアベ・スガ政治の間に、深く根をはってしまっている。

しかも、その偏見は、政権側の野党攻撃プロパガンダによるものというより、社会の変質といったところに関わっているから厄介だ。

インターネットの国会中継をじっくり時間かけて見てほしい。できれば、予算委員会だけでなく、他の委員会もチェックしてもらいたい。意外に政策論議、政策提案がしっかり行われているのに気づくはずだ。ちなみに、立憲民主党が議員提出した法案は今年の通常国会だけでも46法案にのぼっている。

にもかかわらず、テレビの視聴者の目には、首相や閣僚たちを居丈高に追及する野党議員の姿ばかりが印象づけられる。

メディアに取り上げられたい議員と、議員の発言を利用して原稿をまとめたい記者。双方の利害が一致して、そんなシーンが絶えず繰り返される。その結果、野党議員はいつも目を吊り上げて怒っていて、やたら攻撃的な人種として毛嫌いされ、挙句の果てに若者からは「コミュ障」と非難されるのだ。

「コミュ障」。もちろん、コミュニケーション障害を略した言葉である。本来、他人との意思疎通が上手にできない人のことを指すが、なぜ、野党の振る舞いに、そんなレッテルがはられるのか。

それは、コミュニケーションを過度に重んじるこの社会の風潮と無関係ではないだろう。

この国は人に優しい社会をつくってきた。親は子を滅多なことでは叱らない。教師や上司はパワハラ、モラハラと言われるのを恐れて黙り込む。心地よい人間関係がふつうになった。その心地よさを破る人は「コミュ障」なのである。

この文脈でのコミュニケーション能力、すなわち「コミュ力」は、与党的であれば高く、野党的であれば低いということになる。

つまり、今の社会では、構造的に野党は不利な立場におかれているのである。そのことを自覚したうえで、党のイメージ発信をしていかなければ、泉代表もこれまでと同じ泥沼でもがくことになるだろう。

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