「自分が嫌い」という子どもは、少なくない。表面的にスタイルで答えているのではなく、本当にそう思っている子どもが結構いるのである。大人ならもっと多いかもしれない。
これは、根源的に不幸を生む。存在を否定すること以上に辛いことはない。
この強い意識は、大きく二つの方向へ行動を促す。
一つは、自分と他者を傷つける姿勢である。自分と同様に他者も無価値化しようとする。いじめや暴力・暴言の類はこの姿勢が表出したものといえる。SNSで他者からの称賛を求めたり批判するのもこの意識からである。自分の存在を肯定している人間であれば、他者からの称賛への関心をもたず、他者への攻撃もしない。
もう一つは、自分自身の「できる」を追い求める姿勢である。「できる」「役立つ」ことにより自分の存在価値を高めようとする。しかしこれはどんなに成果が上がっても、根源は満たされない。自己有能感による他者への優越感は、同時に危機感と劣等感を生み続けるからである(=○○ができない自分には価値がない)。一見優等生が突然「プツッ」と切れたように無気力化するのもこれである。私が「100点をほめるな」と言い続けているのはこのためである。
これらは、大人にこそ当てはまる。大人の姿勢が子どもにそのまま映る。なぜなら「命はつながっている」からである。
子どもが自分を嫌いな根本は、大人が自分を嫌いだからという可能性がある。子どもへ「自分大好き」を求めること自体は間違っていない。しかし、それ以前に大人である私たち自身が、自分の存在への肯定をする必要がある。それができない以上、子どもが自分を好きになることは難しいし、他人に優しくなることも難しい。
何かがある・ない、できる・できないに関わらず、自分がそこに存在していていいという感覚。なぜ自分がそう思えないかを自問することで、見えるものがあるかもしれない。
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