文章を書くことは“深い森を歩く”こと。勇気を振り絞らなければならないワケ

 

「インセンシティブ=鈍感になる」

実際、でも森を探検する=キャンプ、なんだと思うととても楽しい行為だとは同時に思います。キャンプしたいなー!って思いますし、実際キャンプに行くと楽しいこともたくさんあります。でも、やはり、それは億劫で大変で、相当な下準備と心構えを持たないと遂行できないイベントなんだと思うのです。つまりそんな快楽と逡巡が同時に惹起される行為が、森を探検する行為なのです。

そして、その森とは、実は自分の“脳内”なのです。なので、その恐怖は実際の森を進むこと以上にある意味とても恐いことなんだと、僕には思えるのです。

文章を書く行為は、自分の脳内を探検しなければなりません。多分、僕は自分の脳内に深く分け入ることに、とても恐さを感じてるんだと思います。

当然、甘美で洗練された場だって、脳内という森にはあります。ちゃんと脳内地図がしっかりあって、迷わずに向かえるような領域だってあります。でもそれと同時に、分け入りたくないような領域があるのです。

脳内の森には、たしかにあるのです。どす黒くて、目を背けたくなるような場所、でも森の中を探検していると、そんな場所にうっかり足を踏み入れてしまうものなのです。

その時の恐怖といったら、というか仮にその場をなんとなく自己同定して、その場に近づかないようにしようと努力していても、つい道に迷ったり、その途上で地図の現時点がわからなくなったり、コンパスが狂ったりして、結果どんどんそんな漆黒な領域へ自分は進んで行ってしまうのです。

あるいは、またそんな暗黒領域に自分は入ってしまうのではないかという、恐れを事前に感じてしまうのかもしれません。

そんなスリルに、そんなアドベンチャーに、それをワクワクドキドキ楽しもうと思える心身の健全さがあるのならば、この脳内の森を進む行為は、とても楽しくエンターテイメントであることでしょう。

でもその体力がない時には、とても耐えられたものじゃありません。つまり、それが“文章を書けない”あるいは、文章を書くことに恐怖を感じてしまう源なんだと思うのです。

今、ここまで書いてきて、つまり僕は今日この満月に自分の脳内を探索してみて、今どんな気分なんだろう。満月は満るタイミングです。そういう意味で2022年が始まり正月3日新月で始まった上弦の月は、今満月となって、これから欠けていこうとしています。

僕はといえば、その新月から、新たな2022年を新たな気持ちで始めてみようと“意気込んで”みたものの、この満月あたりでなんとなく早くも“息切れ”してしまったのかもしれません。だから、今は、ソファに寝っ転がってなんとか書いているんだと思うのです。

角田さんのメルマガ詳細・ご登録はコチラから

 

print
いま読まれてます

  • 文章を書くことは“深い森を歩く”こと。勇気を振り絞らなければならないワケ
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け