どれほど相手に権威があり巨大であっても、信念に基づいてペンで立ち向かう。そんな気概のある評論家、批評家が減ってきてはいないでしょうか。“辛口評論家”“毒舌”と言われた山本夏彦氏をも「山本の毒は自己消毒されたドクだった」と手厳しく評するのは、メルマガ『佐高信の筆刀両断』著者で“評論家”の佐高信さん。いくつか実例を上げながら「批判は固有名詞を上げてすべき」との持論を披露しています。
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固有名詞での批判を
『朝日新聞』批判などで名を売った隠居爺いの山本夏彦が辛口評論家といわれることに私は違和感を禁じ得なかった。何も、オレの方が辛口とか激辛だぞなどと言いたかったわけではない。山本の批判が固有名詞を挙げてではなく、逆に、それを出す時は持ち上げになっているからだった。
たとえば、山本は『「豆朝日新聞」始末』では、こう言っている。
「大会社大銀行大スーパーはよいことばかりして大をなしたのではない、悪知恵をしぼって他を倒して大きくなったのである。それなのにその張本人である社長が、誠意や正直ばかりを説くとは図々しい」
私も思わず手を叩きたくなるが、こう書かれても、「大会社大銀行大スーパー」は痛くもかゆくもないだろう。
これが「みずほ銀行」とか、「パナソニック(松下電器)」とか、「イオン」とか、具体的に書いてあるなら、話は別である。しかし、「大会社」と言った書き方では、何の批判にもならない。毒舌と言われた山本の毒は自己消毒されたドクだった。その証拠に、固有名詞が出てくるところでは、山本の書き方は礼讃になる。
「テープならソニーだけ一流であとは二流三流ということはない。ソニーが一流ならナショナル(松下)も一流である。自動車ならニッサンがよければトヨタもいい。よくなければ落伍するから、1社だけがいいということはない。メーカーが5社あれば5社はほぼ同様に一流である」
こうなったのも「みんな競争のたまものである」と山本は言うのだが、朝礼とかで説教することの好きな「大会社大銀行大スーパー」のトップの象徴が、「ナショナル」の松下幸之助ではなかったのか。説教を批判しながら、自分の発言は説教ではないと思っているらしいところがゴアイキョウだ。
山本は『室内』という雑誌を出し、そこに安部譲二が「塀の中の懲りない面々」を連載したわけだが、これなら、ソニーやナショナルはもちろん、トヨタもニッサンも喜んで広告を出すだろう。
かつて『現代の眼』という雑誌があった。総会屋の木島力也がオーナーだったが、誌面には日本資本主義批判の激しい原稿が掲載された。いわゆる新左翼系の作家やジャーナリストが寄稿したのである。しかし、三菱重工や東京電力等の「大会社」はそれに広告を出していた。具体的に社名を挙げて批判しなければ干渉しなかったのである。
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