「保守」「革新」とは多少カテゴリーの異なる用語に「リベラル」がある。保守や革新は、一般にはイデオロギーを表す言葉と思われているようだが、実はそうではないのだ。イデオロギーは社会制度や伝統、習慣の内実にある。保守とか革新はそれを守りたいとか、変えたいとかのパトスであって、イデオロギーそのものではないのだ。「戦争放棄」というイデオロギーを持つ人は、憲法9条を守ることに関しては「保守」で、日米安全保障条約を破棄したいという点に関しては「革新」なのである。
それに対して「リベラル」は個人の自由を尊重したいという立場で、自己決定権、愚行権などを擁護するイデオロギーなのだ。だからリベラルの対義語は「保守」ではなく、「パターナリズム(弱い立場にあるものの利益を守ると称して、強い立場にあるものが干渉するのを良しとする立場)」なのである。
私は、何度も公言しているように、恐らく日本で最も過激なリバタリアンで、私のイデオロギーは次のコトバで要約できる。すなわち「人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる」。詳しくは『正しく生きるとはどういうことか』(新潮社)に記してあるが、ここで重要なのは、「恣意性の権利は能動的なものに限られる」という所である。(『池田清彦のやせ我慢日記』2022年1月28日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください)
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