失言どころじゃない差別発言を「石原節」ともてはやしたメディアの大罪

2022.02.08
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2月1日、89歳で亡くなった石原慎太郎氏。その死を悼むのは当然のことながら、石原氏の失言を超えた暴言や差別的発言、そしてそれを許してきたと言っても過言ではないメディアや社会の有り様に関する議論は、封殺されるべきことではありません。今回、暴言をただすことができなくなっている政治をめぐる言論環境の「正常化」を主張するのは、元毎日新聞で政治部副部長などを務めたジャーナリストの尾中 香尚里さん。尾中さんはメディアの現場に身を置いていた人間としてとして自らの非力さを詫びつつ、石原氏の訃報を「時代を逆回転させる節目」にすることの重要性を訴えています。

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プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

石原氏の訃報を「暴言が止められない社会」を終える節目に

石原慎太郎元東京都知事が1日、亡くなった。毀誉褒貶の大きい政治家だったが、日本の政治にとって良くも悪くも「大きな存在」だったことは確かなのだろう。

政治に限らずどんなジャンルでも、そのジャンルにおいて大きな存在感を持つ人物が、引退なり死去なりで失われた場合、それが時代の節目になることがある。そして、筆者はこの訃報が実際に、時代の歯車を一つ回すことを強く望んでいる。

石原氏が生前繰り返してきた差別的発言や暴言を許容し、むしろ面白がり、政界全体にこうした空気をまん延させてしまった、そんな時代に、私たちはもうそろそろ区切りをつけるべきだ。

想像していたとはいえ、石原氏の死去を知らせるマスコミの報道には、やはり首をかしげざるを得なかった。「歯に衣着せぬ発言」「石原節」。こういう見出しや表現が、全国紙の紙面に普通に踊っている。報道によれば、安倍晋三元首相は「時に物議を醸す発言をしたが、批判を乗り越える強さがあった」と発言。石原氏の後任の都知事を務めた猪瀬直樹氏の言葉として「失言もあるけれど、それは自分の言葉で語るからこそ」と持ち上げ、返す刀で「官僚的で無難な、言葉に魅力がない今の政治家」とも述べて「今の政治家」をこき下ろしてみせた。

確かに、失言は誰にでもある。でも、公正な批判を受け、適正な謝罪がなされることで、適正な言論環境が維持されるのだと思う。過去にも失言した政治家はいたが、それぞれの失言のレベルに応じて、それなりの扱いを受けてきた。

その発言は許されるか否か。それを決めるのは社会の側だった。石原氏自身、環境庁長官だった1977年、水俣病患者らを侮辱する発言を行い、後に謝罪に追い込まれている。あってはならない発言をすれば石原氏にさえも謝罪させるだけの力が、当時の日本社会にはあったということだ。

そして私たちの社会は、いつしかそのような「自浄能力」を失っていた。

石原氏のその後の問題発言、例えば「三国人」発言も「ババア」発言も、いずれも「失言」ではない。それが差別であり、社会的に受け入れられない内容であることを百も承知の上で、言ってみれば社会を挑発したのである。そして私たちの社会は、その発言に眉をひそめる向きはあっても、押しとどめることはできなかった。それどころか、マスメディアはこうした発言を「石原節」などと呼んで、個人のキャラクターの問題に帰結していった。一部では「もてはやした」といっても過言ではなかった。

やがて発言は「問題」として認識されなくなった。「石原さんだから仕方がない」という空気が急速にまん延していった。

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