失言どころじゃない差別発言を「石原節」ともてはやしたメディアの大罪

2022.02.08
 

「○○節」はやがて、石原氏以外の政治家にも広がっていった。一番わかりやすい例が麻生太郎自民党副総裁だ。第2次安倍内閣で副総理兼財務相だった2013年、麻生氏は憲法改正をめぐるシンポジウムで「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうかね」などと発言した。

確かに憲法改正の是非については、さまざまな意見があるだろう。だが、その改正手続きをナチスの手口に「学べ」というのは、ファシズムの手口を自国の政治に取り入れることへの憧憬を表現したものであり、民主主義国家たる日本政府の重要閣僚の発言としてあってはならない発言だ。

しかし、麻生氏は発言を撤回しただけで(謝罪らしい謝罪もなかった)、特に政治的なダメージを受けることもなかった。何しろ安倍政権どころか、後任の菅義偉政権まで、重要閣僚の座にとどまり続けたのだ。麻生氏の「暴言」はこれ以外にも多々あったが、マスメディアはこれらを「麻生節」で片付け、新聞の囲み記事で楽しそうに扱うことが常だった。

麻生氏を重要閣僚に起用し続けた安倍晋三元首相は、やや異なるタイプの「暴言」を吐き続けた。国会で与野党議員からの質問に真摯に答弁するのは、首相という「行政府の長」として当然の責務をまともに果たすことができず、少し厳しい質問を受けると逆ギレ。しまいには答弁していない時にまで、自席に座ったまま野党議員にヤジを飛ばしたりもした。

ヤジはさすがにとがめられることもあったが、国会での答弁はむしろ、マスメディアには「好意的に」取り上げられた。「野党の質問をかわした」「野党詰め切れず」。何度そんな見出しや記事を見たことか。質問に真摯に向き合わない安倍氏の方が論戦に「勝って」、答弁を取れない野党が「だらしない」というわけだ。確かに、こんな首相でもしっかり追い詰めた質疑もあるにはあったので、野党が全体としてもっと質問力を上げるべきなのも確かだろうが、政府の長としての責任をまともに問わないまま一方的に「だらしない」呼ばわりされれば、それは不公平というものだろう。

そして安倍氏はとうとう、街頭でも同じ挙に出た。2017年、東京都議選の投開票前日に秋葉原で街頭演説に立った安倍氏が、そこに集まっていた自らに批判的な聴衆を指さして「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ。

国会での「政敵」に対する暴言を、社会が何となく許容してしまった結果、安倍氏の矛先は国会を飛び出し、一般国民に向かってしまった。最高権力者が国民を指さして、自らの敵とみなしたのである。

岸田政権になって、安倍氏や麻生氏が国会から姿を消した結果、国会はずいぶん落ち着いたものにはなった。そして現在、石原氏以降の流れを引き継いでいるのが、日本維新の会だ。考えてみれば石原氏は生前、橋下氏とともに同党の共同代表を務めたこともあったのだから、当然かもしれない。

国会の場で他党の議員を誹謗中傷する。国政選挙の後任候補予定者が差別発言などを繰り返す。大阪府知事だった橋下氏が、府庁を訪ねた高校生を「恫喝」したこともあった。石原氏と麻生氏と安倍氏が一つになったような暴言の塊が、維新の関係者から幾度となく聞かれている。

print
いま読まれてます

  • 失言どころじゃない差別発言を「石原節」ともてはやしたメディアの大罪
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け