失言どころじゃない差別発言を「石原節」ともてはやしたメディアの大罪

2022.02.08
 

何より筆者が危惧するのは、維新のこうした発言へのマスメディアなどの許容度が、石原氏の時代よりもはるかに上がっていると思えることだ。橋下氏が維新の創設者であることを誰もが知っているにもかかわらず、さも「中立」のコメンテーターであることを装い、いくつものテレビ番組に出演し、好き勝手なことをしゃべり続ける。メディアがそういう場を積極的に与え続ける。

昨秋の衆院選における維新の議席増を、必要以上に「躍進」とあおり立てる。実際のところ、前々回(2017年)の衆院選で、小池百合子東京都知事率いる「希望の党」が存在しており、支持層が重なる同党に一時的に奪われていた議席が戻ってきただけという事情から、意図的に目をつぶる。石原氏の時代にはまだあった「石原さんだから仕方がない」という、ある種諦めや苦笑といった空気感を超えて、今やメディアの方が維新を持ち上げ、あおり立て、先導しているようにさえ見える。

筆者は本来、こんなことを偉そうに言える立場にはない。平成の時代を通じて、全国紙の政治部で長く仕事をしていた筆者は、政治をめぐる言論環境をこんな状態にしてしまったことについて、間違いなく責任を負わなければならない立場にある。自らの無力をわびなければならない。

だが、とにかく私たちはもう、どこかで立ち止まらなければならない。「逆回転」を始めなければならない。

繰り返す。あるジャンルにおいて大きな存在感を持つ人物が、引退なり死去なりで失われた場合、それが時代の節目になることがある。思えば、石原氏の弟・裕次郎さんが1987(昭和62)年に亡くなったことも、後に「昭和の終わりが始まった」などと振り返られている。

それぞれの悼む気持ちまでは否定しない。だが、悼む局面が過ぎたら、次になすべきことは「あってはならない発言をきちんとただすことのできなかった時代」に別れを告げることだ。

今回の訃報を、そんな時代の節目ととらえたい。

image by: 東京都公式HP

尾中香尚里

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

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