ときにこういうズルやカンニングがばれることがあります。その時はもう本当の地獄が始まります。恐怖をさらに植え付けるため、連帯責任と称して、教室にいる全員が大声で罵倒され、ひっぱたかれるというより、ぶん殴られる。小柄な子なんて、本当に吹っ飛んでいました。
そして帰り道、友達同士で誓いを立てるのです。
「受験終わったら絶対塾に火ぃつけてやる」
「絶対に復讐してやる」
まあ本当に実行する子はいませんでしたが。
数年前、あの当時同じ塾に通っていた何人かの友人と飲みながら話していた時のこと。私もですが、アラフィフになっても、みんな鮮明に覚えているのです、されたことを。
あの時勉強が楽しいなんて1ミリも思えなかった。自分が叩かれる順番を待っているときの恐ろしさや、自分と仲のいい子や好きな子が殴られることのいたたまれなさ。圧倒的な立場の違いを利用して、絶対に反撃されない相手に対して、「答えを間違えた」というだけの理由で暴力をふるう大人の狂気。10~12歳という、まだまだ人格形成期でもある時期にこんな仕打ちを受けるとどうなるか。「ロクな大人にならないよね」という結論に至りました。
うん、自分でもそう思う。中学受験で私立女子校に入学したワタシは、本当に嫌な生徒だったと思います。中学に入ってから、どんなに学校の先生に怒られようとも、怖くもなんともない。「どうせ殴んないでしょ?痛くもかゆくもないわ」と舐めた態度をとる。基本的に大人(教師)が大嫌い。
特に威圧的なものの言い方をする大人…それは直接の知り合いじゃなくて、政治家や芸能人なども含めて、激しい憎悪の対象になるくらい。そしてそれは大人になっても自分のどこかにしっかりと影響していて、偉そうな態度や支配的な物言いをする人間に対して、それを上回るような露骨な不快さをきっちりとお返しするようになっているのです。あの時の友人たちも、多かれ少なかれ、同じような思いをしっかりと握りしめているようで。大人げないよね、まったく。
現在、お受験そのものは激化していたとしても、私達の時代のようなスパルタ塾はたぶん(少なくとも)この日本には存在しないと思うけれど、スポーツの世界にはまだその残滓みたいなものがありそう。
そして、家庭内暴力や虐待の事件を目にするたびに、「大人に殴られることの恐怖」「自分が大人になったら絶対に復讐してやるんだ」とオノレに言い聞かせていた時の、あの12歳の心のどす黒さをちらりと思い出します。もう40年もたってるのにね。
暴力、ダメ、ゼッタイ。
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