人気バラエティTVプロデューサーが向き合う天災、疫病、そして戦争

 

でも。それでも、この体感したって感覚を僕はなんで今もっているかというと、自己分析してみれば、それは、自分の(そして自分の近しい人たちの)生命の危機を実感としてリアルに感じているから、なんだと思えるわけです。そしてそのリアルな死を感じたのは、僕が自分の死を、自分がナニモノかに殺されるんだって最初にリアルに実感したのは、2011年の311の震災の直後からの、福島の原発の崩壊の映像をテレビのニュース中継で見ているときなのです。

こういうふうに書くと失礼極まりないのですが、あの311の日の津波が襲ってきて東北の街街が破壊され海に流されていく光景を見ている時は、まだそれでも僕には他人事でした。それに震度5を東京で経験したとはいえ、震源は東北沖なんだ、まさかそのレベルの巨大な地震がこの東京を襲うことは、その時点では無いだろうって、なんていうか勝手に高を括って、他人事にして、卑劣にも安心していたんだろうと思うのです。

でも、あの福島原発崩壊の映像で、僕にはとてもとてもリアルに死の恐怖が襲ってきたのでした。実感を地震の揺れという現実で体感したというより、映像という仮想で体感するという現象はとても興味深い現象なのですが、だからこそたかだか100数十キロしか離れていない場所から、放射能はやってくる、それも目に見えない形で、襲ってくる、それは他人事なんかじゃない、まさに自分の身体を直接襲ってくる「殺される」という恐怖がテレビの電波に乗って津波のようにやってきたのだと思うのです。

そして、僕はあの日以来、自分の考え方や、生き方が一変したのでした。所属していたTBSテレビをやめ、今のこのようなバラエティプロデューサーとして生きているのも、そのリアルな死の恐怖がきっかけだったわけです。

二度あることは三度ある

そして、時はちょうど2年前の2020年の3月、疫病がリアルに襲ってきました。新型コロナウイルスです。デルタ、オミクロンと続き、今も世界はその災禍に苦しんでいます。あらゆる人たちと同じように、この災禍を僕自身も、日々のマスクという肌感覚で、会えない人と会えない、行きたい場所に行けないという距離感で、ライブコンサートで歓声も上げられないという拘束感で、日々実感しているわけです。

僕は、この10年の間、311で天災を実感してから、コロナで疫病を実感しつつ、ここ数年ずっと思っていたのでした、次は「戦争がやってくる」と。天災、疫病、戦争が、歴史を動かしているのであるからには、そしてその歴史の中を漂うちっぽけな存在である自分なんかが、その歴史の渦から逃れることなんてできないんだって、それこそ実感するわけなのです。次は、「戦争がやってくる」と。

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