若い時ならまだしも、年を重ねてからでは、つながりを作るのも大変な作業です。結果的に、人とふれ合う場も時間もなくなり、会話も途絶えた。心が温まるつながりが、奪われてしまったのです。
NPOやボランティアの人たちが、イベントなどを企画しても、参加する人は少なく、一軒一軒周って声がけをしても、「もう、年だからね」と心の扉を閉ざす人も多くなりました。
仮設住宅の時も、「あれ?これって半分、ボランティアじゃない?」というイベントはありましたし、むしろそういう時の方が多かったのは事実です。
しかし、たとえ少ない人数でも参加してくれる人がいると、それがきっかけとなり、また、一人、二人と仮設の人たちの輪が広がっていきました。
「話しのネタのある」ことが、つながりを生んだのです。
「誰かが来てくれる。自分達は忘れられていない。それだけでも嬉しいんだよ」ー。こう言ってくれる人たちもいました。
ところが今回のコロナ禍で、通い続けた人たちが行けなくなり、やっと戻り始めた観光客も来なくなった。
残された人たちは、一つ一つ年を重ね、70歳だった人は81歳になり、80歳だったおじいちゃん、おばあちゃんは91歳です。
本来であれば、孫やひ孫と笑いながら、人生の最終章を送れた人たちが、一人きりで、テレビの音だけが鳴り響く部屋で、ご飯を食べている。
「毎日のように葬式がある」という悲しい現実を、女川や福島の知人から何度も耳にしました。
年をとってくると、昨日までできていたことができなくなったり、もの忘れも増えます。
「私なんてこないだ○○をわすれちゃったよ」と愚痴を言い「あらあら困ったね」と、一緒に笑い飛ばしてくれたり、一緒に困ってくれる人がいるだけで、ちょっとだけ安心することもできるのにそれが出来ない。
この現実を少しだけイメージしてほしいのです。
3月11日金曜日、その1日だけでもいいので、「あの日」のことを思い出していただきたいのです。それが何の役にも立たないとしても・・・です。
みなさんのご意見を、ぜひ、お聞かせください。
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