4月9日に行われた世界ミドル級王座統一戦で、惜しくもIBF王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)に敗れてしまったWBAスーパー王者・村田諒太(帝拳)。最終的に勝利を手にすることはできなかったものの、ビッグファイトにふさわしい試合内容に多くのファンが感動しました。そんな村田選手は高校時代の恩師に多くのことを学んだといいます。メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、村田選手のインタビューからその真実に迫ります。
人の痛みを知る人間になれ──恩師の教え 村田諒太(元WBA世界ミドル級スーパー王者)
中学3年の夏休みに、通っていたジムで僕を指導してくれていた元日本チャンピオンの桑田弘さんから、
「高校でボクシングやる気があるんだったら、南京都に行け」
と言われ、桑田さんに連れられて強豪の南京都高校(現・京都廣学館高校)ボクシング部の練習に参加しました。
その時初めて武元前川先生にお会いしたんですけど、
「試験で0点取らなかったら入れてあげるよ」
と言ってくれたんです。
授業にはほとんど出ていなかったので不安はありましたが、その武元先生の顔を見て、子供ながらに、
「あっ、この人だ」
「ここに行きたい」
と。もう直感です。
武元先生から学んだことはたくさんあるんですけど、選手の持っている可能性を否定しなかったですね。
新入生向けの部活紹介で、僕らボクシング部は希望者を舞台に上がらせて即興で対決させる余興を恒例にしていました。
高校3年の時、僕が一発殴っただけで相手を病院送りにさせてしまったことがあるんです。
その時、普通だと「何やってんだ、この野郎」って鉄拳制裁が飛んでくるでしょう。僕も殴られるなと思っていたら、武元先生は
「おまえの拳は人と違う。腰も回るし、体重も乗る。そんなことに使うんじゃない」
と窘(たしな)めてくれました。
おまえの拳には可能性があるんだから、上を目指すために使えという意味だったと受け止めています。「謙虚であれ」というのが武元先生の一貫した教えだったと思いますね。
例えば、試合前の計量の時に生意気なやつがいるんですよ。
そういうやつを試合でノックアウトして「ほれ見たことか」と思ってガッツポーズした瞬間に、僕らは「やばい、やってしまった」と。
ガッツポーズは絶対に許してくれなかったです。負けた選手に対して失礼だと。
汗水垂らして同じように練習しても、全国大会に出場できる人とできない人がいるわけじゃないですか。
悔しい思いをしている選手たちの上に立っていることを忘れるな、人の痛みを知る人間になれとよく言っていました。
だから、適当な試合も許されませんでした。
たとえ負けても前に出て戦う姿勢を失っていなければ励ましてくれましたし、反対に、勝っても気持ちが乗っていなくて消極的な時には、容赦なく叱られました。
苦しい時こそ前に出るんだと。勝ち負けよりも、逃げるという気持ちの弱さが見えるボクシングが大嫌いでしたね。
学校は人間教育の場であるし、ただ強くなればいいっていうものじゃない。それが武元先生のスピリットでした。
image by : Ogiyoshisan / CC BY-SA 4.0