プーチンが「核」を使わずにウクライナ紛争を終わらせる“唯一のシナリオ”

 

一つだけロシアが間違いなく核兵器も使わずにウクライナから撤退し、色んなことが元に戻る。クリミアがどうなるかなど、不確定なことが色々あるとは思いますが、核兵器を使う心配がなくなる、一つだけある可能性は、それはプーチン政権が壊れることだと思いますね。

で、ロシアが戦争をするときというのは、これ、1905年ということになっていくのですよ。1905年の「血の日曜日事件」をご存じの方もいらっしゃると思いますけれど。1917年のいわゆる2月革命。そのあと社会主義の政権が出来ていくわけですけれど。その少し前、帝政ロシアで、確か当時の首都ペテルブルグの王宮に対して要求を掲げて押し寄せた大勢のロシアの市民たちに、警官隊というか軍隊が発砲して大勢殺されてしまうという事件がありました。「血の日曜日」。なんか、歴史上、色々な「血の日曜日事件」があったようですけれど、日曜日に惨劇が起こると「血の日曜日」になるということなのですが、その日、1,000人から4,000人近くが死亡したという大事件です。何を要求していたかというと、1905年でピンときますよね、あれ、来ないかな…あの、日本の場合日清戦争が1894年から1895年、日露戦争は1904年から5年なんですね。ちょうど10年後に起こった。

ロシアの民衆が何を要求したかというと、日露戦争をすぐにやめろということでした。

日露戦争はロシア国内で戦われたのではなくて、朝鮮半島が主戦場(*間違いです。主戦場は「満州」と遼東半島、それに日本海)。要するに戦争によって犠牲者もたくさんで出ていた。いまはウクライナ侵攻ですが、そのときには日露戦争が戦われていた。これを早くやめろ。その他、自由権の獲得のようなことも要求されていたらしいですが、これを要求した民衆が大弾圧を受けて大勢亡くなると。で、この流れでロシア皇帝に対する信頼が…。もともと請願デモなんですよ。皇帝に「お願いします」という性質の運動に対して銃口が向けられた。それで皇帝に対する信頼も親近感も地に落ちる。その後ロシア第一革命が起こり、その中では有名な「戦艦ポチョムキンの反乱」という、映画にもなっているあの事件が起こる。ざっと10年後の1917年「二月革命」となり、ソビエトの体制がその後に出来ていくことを考えると…。

対外戦争についての民衆の不満が政権を倒すという、そのようなパターンが見えますよね。

それが今度のことを巡っても、やはり、演習のつもりで出かけたらウクライナで人殺しをさせられたというふうなことで、兵士の不満も高まるでしょうし、それから家族ないし遺族ですよね、大変な数のロシア兵が亡くなっているようなので、遺族の間にプーチンさんに対する批判が高まってもおかしくない。

で、ロシア国内が制裁によってさらに経済的にも苦しめられることになれば、それはプーチンさんに対する支持も下がろうというものですよね。単純に、それが革命になる、ウクライナで起きたマイダン革命のようなこと、これが起こるとは限りませんけれど、一つ言えるのは、おそらく「核」の問題が関わっているので、ロシアの支配層シロビキと言われるような諜報部門などの勢力、ロシアの権力の屋台骨を支えている軍事官僚制というか、そういうところが、今のままでは自滅すると、プーチンを押し立てているのではダメだというふうにもし判断が変わった、そのときはプーチンさんピンチですよね。

読みやすさを追求した情報リテラシー指向の時事評論を展開する内田誠さんのメルマガ詳細・ご登録はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • プーチンが「核」を使わずにウクライナ紛争を終わらせる“唯一のシナリオ”
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け