さらばInternet Explorer。開発に関わった日本人エンジニアが明かすIE秘話

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1995年の初登場から27年の長きに渡り「現役」として働き続け、6月16日にMicrosoftがサポートを終了させたInternet Explorer。1990年代半ばの一時期にその開発の主導権を握っていたのが、世界的エンジニアとして知られる中島聡さんでした。そんな中島さんはメルマガ『週刊 Life is beautiful』で今回、IEの開発秘話を公開。さらに自身が思うところのMicrosoftが犯した「最大の失敗」と、スティーブ・ジョブズが果たした大きな役割を記しています。

プロフィール中島聡なかじま・さとし
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。

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私が開発に関わった、Internet Explorerがようやくその役割を終えました。私が最後にIEのコードを書いてから25年近く経つので、十分だと思います。

私がInternet Explorerの開発に関わったのは、1995年から1998年で、バージョンで言えば、IE3.0とIE4.0です。

IE2.0までは、Sypglassという会社からライセンスしていたソフトウェアを使っていましたが、IE3.0の際に、HTMLの描画エンジン(含むJavaScriptインタープリタ)以外の部分を私が全面的に書き直しました。

その際に、Microsoft Officeグループと協力して、DocObjectというインターフェイスを使って、描画エンジンを切り離し、IEの中でWord DocumentやExcel Spredsheetを開けるように、さらに同じインターフェイスを使って、<frame>や<iframe>を実装したのがIE3です。

私は当時、まだWindowsグループにいたのですが、すっかりOSの開発には飽きてしまい、知り合いのBen Slivkaがプロジェクトリーダーを勤めるIEチームを「手伝う」という形で関わりながら、いつのまにか主導権を握ってしまいました。

IE3のアーキテクチャのことを知った、元々はデータベース向けのフォームを作っていたチームが、DocObjectインターフェイスさえサポートすれば、IE4の描画エンジンの座を(Spyglassからライセンスしたコードから)奪えるかも知れないと作って来たのが、Tridentという描画エンジンで、それが最終的にはIE4となりました。

IE4の中に、データバインディングという仕組みが入っていたのは、データベースのフォームを作っていた経験から来るものです。

IE4の次には、Windows Explorerとの統合という仕事をしましたが、これは私のプロトタイプからスタートしたものです。WindowsとIEの両方の開発に関わっていた私としては、とても自然な形の進化でしたが、それが最終的には独禁法に引っかかってしまったことは、メディアで放送された通りです。

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