コロナ禍の前から障がい者施設を遠隔で結びコミュニケーションを取ってきた、もしくは取ろうとしてきた私にとって、遠隔のコミュニケーションにより障がい者が映像化され、名前が音声化されることで、それらの個人情報がデータになる現実を恐れる施設や障がい者は少なくないことを実感している。
生活介護が必要な利用者の入所・通所施設では「保護」する思いが強いあまりに、それらに近づかない姿勢を保ち続けるところもある。
この感覚は「データ」「個人情報」の枠組みやその利用や悪用について、明確な情報共有がないまま恐れが先立っている印象も強い。
障がい者を守りながらデータを共有化することで、個人の幸福を追求する権利を確実に行使できること、自分の好きなことを多くの選択肢から「自分が」選べることにつなげられるイメージを共有することから始めなければならない、と思っている時に、宮田教授のようにデータを社会で善用していく重要さを、その深い知見をもとに指南してくれるのはありがたい。
保護することが結果的に行動の制限になってしまい、機会を奪うことにつながるのはコロナ禍での政策でも社会で議論してきた問題である。
最大限に怖がりながら、私たちが行動し、必要な保護を約束され、社会全体がデータを善用する方向にいきたい。
データに転換した「人」を平等に扱うことは、価値観の転換を促し、冒頭の不平等を解消することにもなり、それが希望にもつながるとの思いで、私も市民として真剣に考えていきたい。
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