目次
・なぜ国葬となったのか?
・過去の日本における国葬 世界の国葬
・政治利用の懸念 自民党は組織維持のためならば「安倍晋三」をも利用する 年内解散総選挙の可能性
なぜ国葬となったのか?
岸田首相は国葬となった理由として、以下の3点をあげている。
- 憲政史上最長の8年8カ月にわたり、厳しい内外情勢に直面するわが国のため、首相の重責を担った。
- 外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けている。
- 民主主義の根幹である選挙の中、突然の蛮行で逝去され、国の内外から、幅広い追悼の意が寄せられている。
国葬とは、政府が主催し、国費で行われる葬儀のこと。戦前は、伊藤博文元首相らの国葬が行われたが(2)、戦後になってからは、1967年の吉田茂元首相の1例だけ。
ほか、10人の首相経験者の葬儀を内閣は行ってきたが、いずれも自民党や衆議院などの合同葬で執り行われ、形式も憲法の政教分離の規定を踏まえ、無宗教の形式で行われた。
戦前は、1926年に公布された国葬令に基づき行われていたものの、1947年に失効し、以後、国葬についての法律は存在しない。そのため、長い間、法的な根拠はあいまいとなっていた。
今回の国葬についても、「国の儀式」を掌握する内閣府設置法と閣議決定を根拠に行う。そのため、首相も「国葬」という表現を用いず、「国葬義」「いわゆる国葬」という表現を使った。
過去の日本における国葬 世界の国葬
国が公的に主催する葬儀には、さまざま問題が伴ってくる。
日本における国葬の始まりは、1878年(明治11)年に士族により暗殺された大久保利通の国葬に準ずる葬儀であるという(3)。
当時は反政府勢力が多く存在、盤石な統治をできなかった政府が、天皇の名の下に、国家を挙げて大久保という人物に哀悼の意を示すことで、反対派の動きを封じ込めるという、政治的な目的があった。
その後も、岩倉具視や島津久光、三条実美などの国葬は、天皇の特旨(特別な思し召し)として行われ、徐々に、国家を挙げて一人の人を悼む葬儀が完成していく。
すなわち、国葬とは、歴史的な成り立ちから見ても、政治的意図を持ち、弔う葬儀であることを意味する。
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