当然ながら水野や鳥居にすれば、遠山は迷惑で邪魔な存在です。この為、遠山は北町奉行を解任され大目付に異動させられました。大目付は大名目付の略称が示すように大名を監察する役目です。役高は町奉行と同じ三千石ですが格は大目付が上でした。従って遠山は昇進したことになるのですが、江戸時代中期以降、大名の改易が減ったこともあり、大目付は名誉職になっていました。
町奉行には町奉行所という役所があり、与力や同心を従えて実務を担っていましたが、大目付には特定の役所はありません。大目付に任じられた者の屋敷が役所代わりで、自分の家来が役人でした。ですから、仕事に邁進したい旗本からすれば閑職であったのです。遠山の大目付昇進は体のいい棚上げでした。また、大名の監察という役目柄、幕府の政治、政策には関与できませんから、水野、鳥居にすれば邪魔者を退場させたのですね。
では、「遠山の金さん」は権力闘争に敗れ、失意の晩年を過ごしたのかというと、そうではありませんでした。天保の改革の失敗で水野、鳥居が失脚すると町奉行に復帰します。但し、北町ではなく南町でした。将軍徳川家慶の希望です。町奉行の裁きは時として将軍が上覧することがあり、遠山の裁許ぶりを家慶は高く評価していたのです。
また、「遠山の金さん」というと北町奉行のイメージが強いのですが、事実は北町奉行は約三年であったのに対し、南町奉行は約七年務めています。
(メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』2022年8月26日号より一部抜粋。この続きはご登録の上、お楽しみください)
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