「愛国」という言葉を聞くと、時代錯誤だ、思想が偏っている、などとネガティブなイメージを持ってしまいがちですが、本来の意味はそうではありません。「愛国」という言葉の由来を、作家でユーチューバーの顔も持つ小名木善行さんが、自身のメルマガ『ねずさんのひとりごとメールマガジン』の中で紹介しています。
この記事の著者・小名木善行さんのメルマガ
愛国とは「国民を愛する想い」のこと
世の中というのは不思議なもので、「愛国」という言葉を聞いただけで、まるで条件反射のように「いけないこと」と思う人がいます。
現実には、そのように考える人は、ごくひとにぎりしかいないのだろうと思うのですが、その一団が、やたらに声がでかい(笑)。
結果、それがまるで民意でもあるかのように扱われたりしています。
「愛国」という言葉は、日本書紀の持統天皇記が初出です。このように書いて「国を愛(おも)ふ」と読みます。
国というのは、人がつくるものです。人がいるから国ができます。人がいなければ、国も存在しません。
では、国を愛(おも)ふとはどういうことかといえば、日本人なら日本人が築いた国を愛(おも)うこと。
つまり煎じ詰めれば、「国民を愛(おも)うこと」が、愛国です。
「国民を愛(おも)う」とは、「国民を愛すること」です。国民を愛するのです。
それって、政治家に最低限必要なことだと思いませんか?
国政であれ、都道府県政であれ、市町村政治であれ、政治家であれば、最低限の資質として、あるいは素養として、もっというなら、政治家としてのその根幹に、「国民を愛する」という心がなければなりません。あたりまえのことです。
早い話、市議会議員さんが、その市に住む住民のことが大嫌いで、自分個人の利益ばかりを考えるような人であれば、ろくな政治にならない。国会もまた同じです。
つまり「愛国」は、政治家にとっては、何よりもまず第一に、政治の根幹に置くべきものです。
あるいは学校教師もまた同じです。愛国を否定するということは、日本人を否定するということですから、生徒も親も否定の対象です。
生徒も親も嫌いな人が、生徒を教える…。
一体何を教えるのでしょうか。
そのような教師が生徒を教えることで、生徒は愛情深く、人を愛する心を育むことができるのでしょうか。人々のお役に立てる人が育つのでしょうか。
私たちは、戦後の歪んだ教育のために、目の前にある大切なことを、教育によって見失ってきました。
「たいせつなことは、目の前にある」
そして、
「愛国とは、国民を愛すること」
本来の日本人の原点に還ること。それが、新しい日本建設の第一歩です。
日本をかっこよく!!
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