21日午前、東京・霞ヶ関の総理官邸近くの路上で70代男性が焼身自殺を図った。男性は直前に、安倍元総理の国葬に反対する趣旨の発言をしていた。SNSでは「迷惑なテロ行為だ」など男性を非難する意見が拡散。一方で「抗議の焼身はテロとは異なる」との指摘も多数あり、事件の解釈を巡って議論が白熱している。
抗議の焼身は自爆テロ? SNSでトレンド入り
安倍元総理の国葬(国葬儀)まであと8日。“第二の山上容疑者”を警戒し都内に厳重な警戒態勢が敷かれる中、70代の男性が「国葬反対の焼身自殺」を試みた。
男性は病院に搬送されたが重体。現場には国葬に断固反対する旨のメモが残されていたという。
先進国日本らしからぬこのニュース。ショッキングな第一報が報じられると、SNSでは「自爆テロ」がトレンドキーワード入り。
《テロでまわりに迷惑をかけずに1人で死んでほしい》
《他人にケガまでさせて焼身テロなんていい迷惑ですよ》
《言論の自由がある我が国で焼身自殺するのはテロと同じ》
《何の弾圧もない日本で自爆テロとか意味不明すぎる…》
など、男性の抗議行動を身勝手で独善的な「テロ」になぞらえて批判する意見が拡散された。
男性の火を消そうとした警官がやけどを負ったことも、このような批判に拍車をかけたと考えられる。
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「抗議の焼身行為はテロではない」反論も
一方SNSでは、事件を起こした男性に同情的な投稿や、抗議の焼身と「テロ」の根本的な性質の違いを指摘する投稿もまた多い。
《抗議の自殺と、敵対者や無関係の人を攻撃するテロは別物ですよ》
《老人の焼身自殺をテロと同一視するようでは中国共産党と同じだ》
《警官のやけどは不可抗力では。巻き込むつもりはないでしょ?》
《気持ちはわかるが、あんな男の葬式で自分が死ぬ必要はないぞ》
今回の焼身事件の背景には「国葬反対」という政治的主張があったにせよ、敵対者や無関係の市民をターゲットとする「暴力主義的な破壊活動」つまりテロとはまったく異なるという見方だ。
安倍氏銃撃事件でも「民主主義への重大な挑戦だ」「テロを決して許すな」など仰々しい見出しが新聞一面を飾った。
しかし蓋を開けてみれば、山上容疑者の犯行動機は、旧統一教会とその広告塔たる安倍氏への個人的な恨みでしかなかった。
政府やマスコミが、体制にとって都合が悪いものに「テロ」のレッテルを貼ることにウンザリしている国民は想像以上に多いのかもしれない。
警察庁組織令第39条は、テロリズムについて「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動」と規定している。
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「なぜ日本で焼身抗議?」現状認識に大きな差
焼身は自死の中でも特に苦痛が大きく、世界的にみても「圧政に対する政治的な抗議の手段」として選ばれることが多い。
たとえば中国では2008年のチベット騒乱以降、中国共産党の弾圧に抗議する少数民族チベット族による焼身自殺が相次いでおり、今年2月には25歳の人気男性歌手ツェワン・ノルブ氏が命を落としたばかり。
一方、今回の事件を「自爆テロ」と呼ぶ人々の多くには、「言論の自由がある日本でなぜ焼身を」「何の弾圧もない日本でなぜ焼身を」という、鮮明に統一された“共同幻想”があるようだ。
だが本当に今の日本は、自由と公正が担保された民主主義国家と言えるのだろうか。仮にそうなら、なぜ世論調査で6割以上の国民が国葬に反対の意志を示すのだろうか。
それは、韓国カルトの旧統一教会と長年に渡って癒着し、公文書を改ざんし、経済統計を捏造し、司法人事に介入し、災害時には料亭でドンチャン騒ぎをして、獅子奮迅の大活躍で日本の民主主義を根幹から破壊した張本人が安倍晋三氏であることが、多くの国民にバレてしまったからに他ならない。
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