佐久間は悩んだ末、ヘッドハンターの自宅近くの駅のコーヒーショップで初めて接触した。ヘッドハンターは「あなたの特許出願内容を見て連絡をすることになった。三星電子で素材開発を引き受けてほしい。韓国に来ることになれば給与は今の1.5倍を与える」と提案してきた。
数日後に会った2回目の出会いでは給与提示額が現在の1.7倍に跳ね上がっていた。さらに具体的な業務内容も提示された。しかし、これまで積んできた経歴と人脈を捨てて韓国に旅立つということは、いくら未婚の独身者だとしても簡単に決められることではなかった。佐久間は「韓国企業にスカウトされ移る人は裏切り者」という一部の極端な認識も障害になったと回顧する。
3回目の出会いは、高級料亭で行われた。三星の役員が彼を説得するためにわざわざ韓国から飛んできた。
「当時、私は40代に入ったばかりだった。日本企業で働き続ければ雇用安定を法で保障してもらうことができた。そんなに糞真面目に働かなくても重要ではない実験を適当にしてお茶を濁しながら定年まで安定した生活ができた。実際、私たちの研究所にはそんな人が多かった」。
佐久間は「サムソン側との面談回数が増え考えが変わった」と話した。
「ぼんやりした人生を送るよりは研究員として世界的な大企業で働く方がはるかに良いという気がした。特に3回目の出会いを持ってからは『今から私は世界を舞台に戦う』という一種の使命感のようなものが沸き上がって来ていた」。
結局、佐久間は初めてヘッドハンターの連絡を受けてから3か月後に日本企業に辞表を出した。
「三星電子は韓国を代表する大企業であるだけに、基本的にほぼすべての面で日本企業以上のサービスを提供していた。企業文化は日本の会社とよく似ている部分もあるが、日本では見られなかった独特な側面もいろいろあった」。
佐久間は年1回実施する社内健康診断システム、一日3回無償で提供される社内食事、誕生日・結婚記念日に会社が提供するプレゼント、運動会・文化行事・晩餐など相次いで続くイベントなどが特に印象的だったと話した。
彼は特に「会社ですべてを支援してくれるので、韓国では研究だけに集中すれば良かった」とし、「研究員にはそれこそ天国のような環境だった」と賛辞を惜しまない。