「この人に対してこの話は7月、9月、10月の2回と計4回目になる。なぜ同じことを何度も聞いてくるのだろう?」
「時系列で順を追って説明したのになぜ逆のことを言うのだろう。もしかして、都合が悪いのでわざとなのかな?」
「おなじ説明を7回もした。でも説明が足りないって?馬鹿にしているだろうか?」
こんな感じで確認すると、たいていは私の記憶通りなのだが、相手を怒らせることになる。なぜか?人間とはそういうものなのだ。
人間関係や社会関係の維持に関しては、適度なあいまいさが不可欠なのだ。
とくに、他者を率いるリーダーなどは、適度なあいまいさに基づく寛容さこそが、組織運営の秘訣となることが多い。
大臣時代や党幹部時代の鳩山氏は苦しそうだった。白状すれば、私自身も約10年前から始めた会社経営(現在4社のトップ)ではあるが、苦痛でしかないのだ。
鳩山邦夫さんが、あの頃、なんども話してくれたことがようやく理解できた。
ひとりで歩み、ひとり責任を取り、ひとりで立って、ひとりで生きている方がずっと楽だということを。
秋空に舞う蝶々を眺めながら、あの頃の鳩山氏の苦悩のことばの数々を思い出している。苦しみをは、記憶力が良すぎるゆえのそれだったのだ。野山で蝶々を追っているときの幸せそうな顔と、国会での無表情のコントラストの意味をいまごろになって理解した。
記憶力は成功のカギにはなるかもしれないが、必ずしもひとを幸福にするものではないのである。
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